三島神社(みしまじんじゃ)
君津市宿原の「三島神社」は国道410号線沿いにある大きな鳥居が目印です。
入口には周辺では貴重な飲食店山の茶屋があります。
※山の茶屋は土曜・日曜のみ営業。ラーメン、日替わりランチ、お好み焼きなどが食べられます。
三島神社概要
君津市史によると元別当寺(神社を管理する寺)は照光寺となっていますが、現在は廃寺となっています。
【社格】不明
【祭神】大山祗(オオヤマツミ) 山の神
【祭礼】9月の最終日曜または10月の第1日曜
宿原・奥米・豊英・旅名の合同祭
【御朱印】不明
【由緒・沿革】
君津市史に記載がないので詳細は不明ですが、源頼朝に関わる伊豆国の三島神社の分霊を勧請したと伝わります。
比較的規模の大きな神社に見えますが、郷社なのか村社なのか無格社なのかは調べてもわかりませんでした。
【文化財】「三島の棒術と羯鼓舞」千葉県指定無形民族文化財(昭和37年5月1日指定)
三島の棒術と羯鼓舞は、毎年行われる三島神社の祭礼の際に、宿原、奥米、豊英、旅名の四地区の氏子たちによって演じられる。
棒術は、昔、源頼朝が安房の地から北上し、この地を通過した折、何人かの家来がこの地に土着し、武道に励みながら当神社に奉納試合として行ったのが始まりと伝えられる。演者が六尺棒、刀、木刀、鎌、扇子等の武具を持って相対し、気合鋭く迫真的な激しいわざを展開する。現在、丸橋流・蓮見流・田原流などの流派があり、宿原、奥米、豊英の氏子に伝承されている。
羯鼓舞は羽毛を密集させた竜頭(りゅうず)を頭につけた親獅子・中獅子・牝獅子の三体が、腹部につけた小鼓(羯鼓)を撥(ばち)で打ちながら踊る。これはかつて日照り続きの時、農民がこの社に集い雨乞いを行ったところ、突然竜神が現れ、慈雨を降らせたという故事にならい、獅子を竜にたとえて舞にしたものである。棒術のあとに同じ場所で、旅名の氏子によって演じられる。
平成十七年三月三十一日
千葉県教育委員会
君津市教育委員会
千葉県ホームページ三島の棒術と羯鼓舞
館山市神余日吉神社の羯鼓舞(動画)
境内案内
国道410号線沿いにある一の鳥居から300mほど先に境内入口があります。境内全体は杉の大木が多く、神秘的な雰囲気の神社です。
一の鳥居
高さ4mほどある大きな木製の鳥居。一番上の笠木の部分だけが金属で覆われています。形状は「鹿島鳥居」と同じですが、額束があるので「宗忠鳥居(むねただとりい)」です。
建立は平成10年3月14日。根元が傷んでいるので大風が吹いたら折れる可能性があります。
二の鳥居
参道入口にある金属製の朱塗りの鳥居。形状は一の鳥居と似ていますが、額束がないので「鹿島鳥居」です。建立は昭和40年(1965年)。
定め書き
二の鳥居の奥にある「定め書き」郷社とか村社の入口には大抵これがあります。
参道
参道は長く二の鳥居から三の鳥居まで100mほどあります。
ようやく三の鳥居が見えてきました。
手水石
比較的新しい手水石。奉納は令和二年七月吉日。
三の鳥居
建立は昭和40年9月。形状は明神鳥居。
本殿への石段手前に常夜灯と狛犬があります。
常夜灯と狛犬
新しいもののようですが、年代を確認するのを忘れてしまいました。
拝殿
向拝には太い注連縄と龍の彫刻があります。
彫刻の作者は見ることができませんでした。
五
右側が拝殿、左側が本殿。改修記念碑によると平成二十五年九月とあります。
拝殿左の男根。神社でよく見かけます。私の知っている中で一番大きなものは南房総市の野島崎灯台にある厳島神社のもので、子宝の神様として祀られています。
拝殿から見た境内。周囲は杉の大木が多く生えています。
詳細情報
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