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台風15号における義援金のお願い

特に南房総全域で猛威を奮った台風15号ですが、屋根が吹き飛ばされたり道路標識が多数折れ曲がったりなど甚大な被害が発生しております。
現在でも各地で断水や停電が続いており、復旧までに今後多額の費用がかかる事が予想されます。
皆様の温かいご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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滝田城址遊歩道【南房総市指定史跡】

滝田城址の櫓台からの眺め

滝田城址(たきだじょうし)

 
南房総市上滝田の『滝田城址』は、南房総市指定史跡(昭和62年12月11日)です。
滝田城址周辺は遊歩道となっていて、駐車場やトイレがあるスタート地点から、終点の櫓台まで徒歩20分位です。
 

入口の案内板より

 
城址は上滝田地区根古谷の西方丘陵上にあり、下滝田地区の大手口より登ると最高所は標高140メートルで八幡台と呼ばれ、石宮の八幡小祠がある。ここが本丸(主郭部)と考えられ、これを囲む形で曲輪(くるわ)と思われる数箇所の高台が見られる。東側の標高100メートルの中腹台地は馬場跡と伝誦されている。城址は西方に尾根が続くが、南北に断崖がある要害の山城(やましろ)である。
 
築城の年代は明らかではないが、安房志では城代を里見五代義豊の妹を妻とした一色九郎としている。また快元僧都記(そうづき)の天文六年(1537年)の項には、里見六代義堯(よしたか)が天文三年(1534年)年の犬掛合戦の後、しばらく房州部久里(へぐり)郡に居城していたと記され、これを滝田城とする説が有力である。
また南総里見八犬伝では里見義実(よしざね)の居住で八犬伝発祥の城とされている。
 
この案内板がスタート地点です。  時刻10:49
 
滝田城址についての案内板滝田城遊歩道案内図

 
案内板の裏側が上り口となっています。 時刻10:51 (左下の画像)
5分程上るとしばらくは下り坂となります。 時刻10:55 (右下の画像)
 
滝田城址入口の画像途中の下り坂の画像

 

伏姫八房翔天の像 時刻11:01

 
『南総里見八犬伝』に登場する伏姫と八房の像です。南総里見八犬伝は、江戸時代後期に曲亭馬琴(きょくていばきん)が28年の歳月をかけて書き著した全98巻、106冊の長編小説です。伏姫は物語の中で安房里見家初代当主「里見義実」の娘とされていますが、実際には伏姫は架空の人物です。南房総では「伏姫」の文字を非常に多く見かけ、史実と物語がごっちゃまぜになりつつあります。実際に里見氏前期の頃の資料は少なく軍記物語などから類推されているようです。
 
<案内板1より>

「南総里見八犬伝」

里見義実は、安房一国を平定するが、愛娘伏姫は戦国の信義に殉じ、妖犬八房に伴われて富山に登る。2年後、節に死した伏姫から「仁義礼智信忠孝悌」(じんぎれいちちゅうしんこうてい)の8つの玉が四方に散る。時を経て、この玉を持った赤子が各所に誕生する。皆逆運の家にあったが、道義と武芸に優れた立派な青年武士に成長し、後年運命にいざなわれて巡り合い、兄弟の契りを結ぶ。8人は打ち連れて滝田城に帰参し、悪と戦い、不義を滅ぼし義実の描く同義的な理想国を築き上げる。海の向こうに関八州を望むこの安房の地を舞台にした滝沢馬琴の名作は、里見氏の歴史を藉り、滝田城を出発点として展開させたものである。
 
<案内板2より>

「南総里見八犬伝顕彰事業」

江戸時代の文豪、滝沢馬琴の傑作「南総里見八犬伝」は、ここ滝田城にはじまる。時の城主里見義実は幾度の過酷な戦いを経つつ親子や夫婦の道を説いた「三綱五常」を家訓として民生の安定に心血を注ぎ、安房をして桃源理想の地を築かんとする。父の薫陶を受け育った伏姫は、死して「仁義礼智信忠孝悌」の八剣士世に出し完全懲悪して理想国士を実現させたのである。三芳村はこの名作の出発の地として里見八犬伝を顕彰し宇野務先生の作になる伏姫翔天の図を世に問うとともに、義実の求めた理想の体して、まほろばの里の建設に意を新たにするものである。
平成6年1月  三芳村長 安藤 光男
 
伏姫八房翔天の像の画像
 
伏姫八房翔天の像の右側を更に先へ進みます。ここから本丸の八幡宮まであと200mです。
 
伏姫八房翔天の像横の道
 

展望台跡 

 
この石垣は城跡ではありません。展望台の跡です。
 
展望台跡の石垣の画像展望台跡の石垣の画像

 
展望台跡から更に先へ進みます。
 
展望台跡からの道のり
 
展望台跡周辺の見晴らし
 

堀切(ほりきり)

 
この上り坂が堀切です。堀切とは主に山城などで尾根を断ち切る溝で敵の侵入を妨げるためのものです。
 
堀切の案内板堀切への階段

 

本丸(八幡宮) 時刻11:06

 
この鉄塔周辺が本丸です。小さな石祠が八幡宮。
 
本丸(八幡宮)の画像
 

櫓台跡  時刻11:07

 
ここが櫓台の跡で、スタート地点から約20分。遊歩道の折り返し地点となります。ここから右に進むと上滝田根古屋です。
 
櫓台跡の画像
 
本丸からの風景
 
本丸からの見晴らし
滝田城本丸の尾根伝いの約2km西には宮本城址があります。

宮本城

 
延徳三年(1941年)稲村城が完成し里見氏二代「里見成義(重義)」の嫡子「義道」が城主として居住し、その支城として宮本城も完成。義道の弟である三男の「里見実堯(さねたか)」を城主としました。三代義道は三十八歳の若さで没しました。この時、実堯を後見人として義道の嫡子の嫡子である竹若丸(元服後:義豊)に宮本城を継がせ、義豊が15歳になったら国政を譲るように遺言して逝きました。義豊が成人して二十歳になっても実堯が国を譲る気配がないのを恨み天文二年(1533年)に稲村城を襲撃して実堯を殺害し里見家の当主となります。
しかし、殺害された実堯の長男里見義堯は仇討ちのため義豊を襲撃。両者の攻防は一進一退を繰り返していましたが、犬掛の合戦にて義堯は義豊を自害に追い込みました。義豊の死後宮本城は廃城となりました。
(参考文献:富浦町史・三芳村史)
 


 

安房里見氏ゆかりの地

 
杖珠院 南房総市白浜町
 初代里見氏義実の墓があります。
 
白浜民話のみち散策コース 南房総市白浜町
 
 杖珠院、青根原神社、満願寺など里見氏の史跡が多く残されています。
 
青根原神社 南房総市白浜町
 里見成義の墓があります
 
犬掛古戦場と八房出生地 南房総市犬掛
 里見義通と里見義豊の墓があります
 
延命寺 南房総市本織
 里見義堯、義弘、忠義の子である利輝の墓、里見氏系図(南房総市文化財)があります。
 
光厳寺 南房総市富浦町
 里見義頼の墓があります
 
岡本城址・里見公園(国指定史跡) 南房総市富浦町
 里見義弘/里見義頼の居城
 
源慶院 館山市安布里
 里見義弘の娘 佐与姫の墓があります
 
満蔵寺 南房総市富浦町
 里見氏累代の墓があります
 
伏姫籠穴(ふせひめろうけつ) 南房総市合戸
 「南総里見八犬伝」の中で伏姫と八房が篭ったとされる洞窟があります。
 
慈恩院 館山市上真倉
 里見義頼の長男、里見義康の墓があります
 

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