平松城址(ひらまつじょうし)
南房総市池之内平松区の平松城址は、治承四年(1180年)源頼朝が安房入国の時、最初に迎え入れた安房の豪族「安西景益」の陣屋跡と伝えられています。
平松城址へ行くには、県道296号線の案内板を目印にします。
県道の案内板の反対側には小さな案内があり、ここから50m程の民家の前の細い道を右折します。
最初の右折を真っ直ぐに進んでしまうと民家の中に入り込んでしまいます。
この道は軽自動車でも狭く危険です。この先に駐車場もありません。車で行こうとして脱輪してしまいました。
この後にJAFを呼びましたが、牽引することもできず人力で脱出することとなってしまいました。
結局当日はあきらめて、後日バイクで再挑戦しました。
車が脱輪したカーブの先は次の分岐点まで150m程まっすぐな道です。
分岐点を右に折り返し100程進むと「平松城址」の案内が見えてきます。
この案内板横の階段を上ります。
案内版の先は雑木林やみかん畑となっています。雑木林の木には、マユミ、ヤマグワ、カクレミノ、アカメガシワ、コナラ、クヌギなどの名札がかけられています。
雑木林の頂上付近に「平松城址」の石碑群が見えてきます。
右手前の石碑は何の石碑なのか判別できません。左は古峯神社の祠です。
右奥は山形県庄内地方の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の登頂記念碑、左奥は天皇即位の大典を祝い明治十五年に創建されたと読み取れるのでが、苔が多く正確には分りません。
一番奥が平松城址の石碑で「川上石舟」書と刻まれています。
お城の跡地と伝えられているので敷地を見てみましたが、識別できるような物は残っていません。
平松城址について (案内板より)
平松城址は池之内平松区の大地上にある。
通説によると治承四年(1180年)源頼朝の安房入国の時、最初に参向した安房の豪族「安西三郎景益」の城址と考えられている。
景益が当時勝山に居住していたとすれば頼朝が石橋山から逃れて、猟島(現在の竜島)に上陸した八月の二十九日に参向したはずであるが、「吾妻鏡」に記されているように九月四日になって参向したことから考察して、景益の居館が池之内平松であったという説が大野太平氏によって唱えられた。付近には木戸、御国、馬場畑などの地名が残っており、城の井戸として姫ヶ井、松葉ヶ井などの伝承がある。また、里見氏時代、その家臣安西式部の館址とも言われている。
平松城址へ行く途中に小さなDHWの看板を見つけました。
面白そうなので行ってみると生憎開店時間前でした。
今度詳しく紹介します。
【所在地】〒294-0812 千葉県南房総市池之内631
【駐車場】なし
【アクセス】