里見氏の墓と南総里見八犬伝 八房伝説の地
南房総市の指定文化財となっている里見氏の墓は県道88号線の犬掛交差点から三芳方面へ約1kmの場所にあります。
里見義通と里見義豊の墓
<案内板より>
天文二年(1533年)里見家第五第当主の義豊が、叔父の実堯と里見家の重臣、正木道綱を稲村城(現在の館山市稲にあり稲村城跡は国指定文化財)にて滅ぼした。これを発端として、里見氏に内乱が勃発した。実堯は上総に逃れ、後北条氏からの援軍を得て反撃を開始した。その後、両者は上総・安房の各地で戦闘になった。翌三年(1534年)義豊は、真里谷(まりやつ)武田氏の援軍を受けて決戦に臨んだが敗死した。この一連の里見氏内部の権力闘争を「天文の内訌(ないこう)」という。
天文の内訌に関する伝承が、市内では犬掛から上滝田にかけて伝えられていて、この周辺一帯は犬掛古戦場跡として伝承されている。
近くには里見氏の菩提寺であった大雲院(だいうんいん)が所在していたと伝えられており、当初は大雲院にあった義豊と父義通の墓と推定される多層塔は明治43年にこの地へ移された。天文の内訌によって、里見氏の当主が、嫡流であった義豊の家系から庶流の系統へ移った。以後、安房国内で勢力を築いた義堯は、上総や下総にも勢力を拡大し、里見氏中興の祖といわれている。
<里見家 主要人物系図>
里見義道と里見義豊の墓
八房と狸の像
里見家の墓から南へ400mほどの場所に春日神社があり、入口付近には「八房と狸の像」があります。
<八房伝説>
この地犬掛(古くは犬懸)は、文化十一年(1814年)江戸時代の文学者曲亭馬琴(きょくていばきん)作「南総里見八犬伝」に登場する舞台であり、八犬士の母である里見伏姫の愛犬「八房」の生誕の地です。
時は室町時代、百姓枝平の家に一匹の雄犬が生まれました。ある夜、母犬は狼に襲われ、子犬は生き残りました。育成をあきらめていた枝平でしたが、子犬は日増しに大きく成長してゆきました。不思議に思った枝平は子犬の様子を窺うと、夜更けに狸が現れ子犬に乳を与えてに来ているではありませんか。この様子は「狸に育てられた犬」としてうわさが広まり、城主「里見義実」の耳にとどき、子犬を召し寄せられ、「八房」と命名され、義実の愛娘「伏姫」の愛犬として寵愛されました。
後に、この八房が伏姫と共に伏姫籠穴で暮らすという「南総里見八犬伝」の中でも大変有名な場面が、世に発表されることになります。
この像は、子犬を育てた、一匹の狸と名犬八房を偲び、いつの時代にも、この美しい物語を多くの人に語り続けようという意味から建立したものであります。
八房と狸の像の上には、犬掛の鎮守である春日神社が鎮座しています。
<春日神社>
【所在地】南房総市犬掛852
【祭神】天児屋根命
【合祀】建速須佐之男命・菅原道真・市杵嶋姫命・武甕槌・大山咋命
春日神社は高台にあり犬掛の里山風景が見渡せます。
今日は平群天神社の祭礼です、犬掛地区他、周辺地区の屋台8基が平群天神社へ集結します。
平群天神社へ向かう犬掛の屋台
<古戦場と里見氏の墓>
【住所】〒299-2205 千葉県南房総市犬掛664
【駐車場】あり 里見氏の墓は道が狭いので春日神社の駐車場を利用してください。