亀山神社【旧亀山郷の郷社】

2024年08月18日

亀山神社

君津市笹の「亀山神社」は、亀山湖(小櫃川)の上流に鎮座する日本武尊を祭神とする神社です。
境内は大木が多い茂り荘厳な雰囲気の神社です。神社から100mほど下は亀山湖畔公園(2024年8月現在は浚渫工事中)となっており川遊びや釣が楽しめます。

神社詳細

参考:境内案内板/千葉縣君津郡誌(下巻)
【旧社格】郷社・村社
【祭神】
日本武尊(やまとたけるのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
天神七代(てんじんしちだい)
地神五代(ちじんごだい)
【祭礼】案内板より。現在も執り行われているかは未確認
例大祭 8月7日
春祭 2月28日
秋祭 11月28日
春祈祷 1月28日
【ご朱印】不明
【由緒・沿革】
創建は不詳。
東西南の3方は小櫃川の清流に囲まれ、松、杉、柏等の老樹巨木が鬱蒼とし、下流には不動の滝があります。
日本武尊(景行天皇の皇子)が東征の際、相模より鹿野山を経て当地に赴き、蝦夷をことごとく服従させ平定して当地に神を祀ったのが始まりとされ、当亀山郷旧六十四村の総鎮守として崇められ現在に至ります。
 
また、近くの不動の滝(現在は消滅し石碑が残されている)より塑像が出現し、社地に安置して蒲生山泉瀧寺大聖院と号しました。(康治二年(1143年)の棟札に不動尊とある)
 
明治維新の神仏分離令の按検の際に当社の祭神が日本武尊であると判明します。神仏分離令に従い不動尊を他の地(300mほど離れた蒲生山 泉瀧寺)に移し社殿を改築し、明治三年(1870年4月)現在の社号に改めます。
 
日本名勝地誌によると長享二年(1488年)里見義実の戦勝を祈り地若干を寄せる。
天正七年(1579年)一月二十八日、里見義頼が参拝の際に書札を寄せ、同年二月二十八日改めて十八石余りの土地を寄進の書面を給う。
亀山神社の由緒


境内案内

参道入口に鳥居が建てられ鳥居の先左側に随神門があります。随神門をくぐると常夜灯と狛犬が設置され、突き当りに拝殿と本殿が鎮座します。拝殿右奥には大型の忠魂碑や小さな石宮が設置されています。

鳥居

形状は靖国鳥居、建立は読み取れません。
参道入口の鳥居
鳥居右横のクスの木の大木。注連縄は掛けられていませんが、境内一の巨木。樹齢は数百年を経ていると思われます。
クスの木の大木

随神門

仁王像はありません。天井には上半身が人、下半身が鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)が描かれています。
随神門

手水石

随神門先右側の手水石。年代は不明。
手水石

拝殿手前

常夜灯1対と狛犬4対が設置されています。
小さな狛犬3対の年代は不明。大きな狛犬は平成二十二年(2010年)十一月吉祥日とあります。

【常夜灯と狛犬(左)】
常夜灯と狛犬(左)
【常夜灯と狛犬(右)】
常夜灯と狛犬(右)

常夜灯の年代は不明。「蒲生山」の文字が刻まれています。

【常夜灯裏側(左)】
常夜灯裏側(左)
【常夜灯裏側(右)】
常夜灯裏側(右)

狛犬

拝殿

拝殿の再建の記録は見当たりません。向拝には鳳凰、龍、獅子などの彫刻が見られます。
拝殿
立体感のある龍の彫刻。安房地方に多い後藤系や波の伊八とは作風が違います。
拝殿向拝の彫刻
彫刻の裏側には彫工師の名前が刻まれていることが多いのですが、この彫刻は見当たりません。

【牡丹の彫刻】
牡丹の彫刻
【彫刻の裏側】
彫刻の裏側

拝殿向拝の天井画

かなり風化が進んでいますが、目を凝らすと天女や鳥の羽根のようなものが浮かびあがってきます。
随神門の天井画と同じ「迦陵頻伽」だと思われます。
天井画(迦陵頻伽)

拝殿と本殿

拝殿と本殿

社殿左側

拝殿と本殿の左側には大型の忠魂碑と小さな石宮が設置されています。

【忠魂碑】
忠魂碑
【石宮】
石宮

公式Webサイト

【千葉県神社庁監修 神社検索隊!】亀山神社

詳細情報

名称

亀山神社

住所

〒292-0534 千葉県君津市滝原114

駐車場

あり

アクセス

・JR久留里線終点「亀山駅」より約3.6km 徒歩約45分 車で約7分
・館山自動車道路「君津IC」より約25km 車で約32分
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