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諏訪神社【鴨川市横渚】

諏訪神社の境内と拝殿

諏訪神社(すわじんじゃ)

 
鴨川市横渚の諏訪神社は、建御名方命を祭神とする神社です。鴨川市合同祭に出祭する諏訪神社の山車と人形は、鴨川市の有形民族文化財に指定されています。本殿には波の伊八の彫刻があります。
 

諏訪神社の概要

 
【祭神】建御名方命(たけみなかたのみこと)
【社格】旧郷社
【祭礼】鴨川地区合同祭、9月第2土曜・日曜
鴨川地区の神社7社による合同祭。山車2台、屋台3台、担ぎ屋台(鴨川市指定文化財)1台、神輿7基が参加します。
大浦八雲神社(神輿・屋台・担ぎ屋台)
白幡神社(神輿・屋台)
・日枝神社(神輿・山車)
熊野神社(神輿・屋台)
・諏訪神社(神輿・山車)
・横渚八雲神社(神輿・山車)
八幡神社(神輿・屋台)
・厳島神社(神輿)
【御朱印】神社にお問い合わせください
【由緒・沿革】(参考文献:鴨川市史 通史編/鴨川町のあゆみ)
正慶(しょうきょう)二年(1333年)五月に鎌倉幕府が滅亡すると、信州の諏訪大社の宮司兼、高島城城主「諏訪頼吉(よりよし)」の一族である高梨頼延(よりのぶ)、望月頼安(よりやす)が従者を連れ、信州高梨郷(現須坂市)から安房国長狭郡の加茂に移住し、芝地を開墾し「馬場の里」と称した。人々は故郷の分霊を迎えることを願い、永和三年(1377年)の夏に社殿を建て諏訪大社の分霊を迎えいれました。明治二年(1869年)維新の際、花房藩庁の布令により社格を改めて本社に列し諏訪神社と称しました。鴨川市内に高梨姓が多いのは、これが理由と思われます。
 
「鴨川町史」によると、同社は諏訪大明神と尊称され、江戸時代の安永八年(1779年)に本殿を再建、享和元年(1801年)九月に社殿の修復が行われました。明治時代には郷社に指定され、諏訪神社と改称されました。明治三十三年(1900年)十二月に本殿の大改修が行われ、明治四十三年(1910年)十一月に区内の馬場字に所在した八雲神社と浅間神社を合祀しました。
 


 

境内案内

 
境内の鳥居をくぐると右側に手水舎があります。その先に常夜灯、狛犬があり拝殿と本殿が鎮座しています。本殿の左側は広く、駐車場となっています。本殿右側には、神輿小屋、屋台小屋と合祀した浅間神社が鎮座しています。
 

鳥居

形状は明神鳥居(みょうじんとりい)。額束には正一位諏訪神社と記されています。鳥居施工 高梨工務店 昭和三十四年九月施工とあります。
 
諏訪神社の境内
 

手水舎/手水石

手水石は大正三年十月吉日奉納。
手水舎手水石

 

常夜灯

かなり年代を経ていて文字が読めません。わずかに一月吉日と読めます。
常夜灯(左)常夜灯(右)

 

拝殿

拝殿は本殿に比べ質素な作り。向拝には注連縄(しめなわ)が掛けられています。
拝殿
 

拝殿と本殿

左側が拝殿、右側が本殿です。
拝殿と本殿
 

本殿

本殿の屋根の上にある棒状の物は水平の物は鰹木(かつおぎ)、両端の斜めに付きでているものを、千木(ちぎ)と呼びます。
鰹木が奇数なら男神、偶数なら女神、千木の断面が垂直(外削ぎ)なら男神、千木の断面が水平(内削ぎ)なら女神という説がインターネットで広まっています。
しかし、近代社格制度における最高位に列せられる安房神社の屋根でさえ男神と女神が混在しており、他でも混在している神社が多く、ずっと不思議に思っていました。一体どういうことなのでしょうか?
 
結論から言うとこれは全くの俗説であるようです。Wikipedeiaの中に「研究者の三浦正幸によると、全くの俗説である」と記載されています。
インターネットは物を調べるのに便利ですが、コピーペーストで間違った情報が広まることがあり、注意が必要だと改めて思いました。
本殿の全景
 
本殿の屋根には、波の彫刻、柱には牡丹の彫刻が施されています。境内には「諏訪神社本殿の彫刻」についての案内板があり、次のように説明されています。
【所有者】諏訪神社
【製作者】武志伊八朗信由(初代伊八)
【作製年】天明年間(1781~1788)
現在の諏訪神社本殿は安永八年(1779年)に再建されたと伝えられています。この本殿の向拝向かって右側に配置されている龍の裏面に「彫工 武志伊八朗信由」の銘が刻まれていることから、初代伊八が建物全体を装飾する彫刻を製作したことが推定されます。
 
この龍の作風は、伊八の三十代半ば頃の特徴が認められることから、天正年間頃に製作されたものと推定されます。本殿向拝左側の龍は、右の龍とは作風が異なる点が認められるため、後年に初代伊八とは別の作者によって作製されて取り付けられたものと推測されます。
 
また、右側の龍は、その姿から「阿吽(あうん)」の吽の形と解釈することも可能です。当時この地域では、阿は右、吽は左に配置されることが一般的であったことから、当初この龍は向かって左側に取り付けられていた可能性も否定できません。
平成二十七年十二月二十二日
鴨川市の文化遺産を活かした地域活性化実行委員会

本殿の彫刻
 

神輿小屋と屋台小屋

本殿の右側には神輿小屋と屋台小屋があります。
諏訪神社と諏訪講が所有する山車と神宮皇后(じんぐうこうごう)・源頼義(よりよし)の人形は、江戸の祭りの代表とされる神田祭りに用いられ、明治時代に購入したものです。現在でも九月の第二土曜、日曜の鴨川地区合同祭に出祭しており、平成二十二年五月二十六日に鴨川市の有形民族文化財に指定されました。
神輿小屋と屋台小屋
 

浅間神社

本殿の右側には明治四十三年(1910年)に合祀された浅間神社の鳥居と石祠が鎮座しています。
諏訪神社境内の浅間神社
 

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