
千光山 円覚寺(えんがくじ)
君津市小市部の「千光山 円覚寺」は、曹洞宗の寺院です。
現在無住の小さな寺院ですが、境内には大きな五輪の塔と地下750mとされる上総堀りの井戸が残されています。
また、隣には真言宗智山派の「円如寺」が建ち、こちらもおすすめのお寺です。
円覚寺概要
【宗派】曹洞宗(静岡県楞厳院 末)
【山号】
千光山(せんこうざん)
【院号】
香華院(こうかいん)
【寺号】
円覚寺
【本尊】
虚空蔵菩薩
【御朱印】
無住なので未確認
【由緒・沿革】(参考文献:千葉県君津郡誌)
<千葉県君津郡誌原文>
※一部現代漢字にしてあります。
久留里町小市部にあり千光山と号し駿州有渡郡楞厳院の末派にして小本寺なり境内七千八百三十三坪高丘の麓に位し土地高燥にして南と西とは開展開し緑野市街を瞰下すべく堂宇の前後には池水を溜へ老樹は鬱蒼として眺矚景致共に佳なり本尊としては虚空蔵菩薩を安置す慶長九年甲辰年正月久留里城主「土屋忠直」本寺を開創し寒洲文充を開山と為し寺領五十石を寄せ香華院と為す文充は勅賜佛光普照禅師と号し忠直の叔父なり土屋氏領知を攻めらるるに及ひ寺も亦寺領を失う「黒田直純」久留里城主と為るに及ひ五十石を寄せらるる寺に武田信玄の執りしと伝ふる五百羅漢彫刻の珠數一連「徳川家康」の用いし茶碗一筒其の他書籍骨董を蔵す概ね忠直の寄贈に係るといふ
千葉懸君津郡誌の本はとても詳しいので重宝していますが、昭和二年発行の本であり、句読点がないので内容を調べるのに時間がかかります。現代版「君津市史」は神社仏閣について、ほとんど記載がありません。
今回はAIの力を借りて「千葉懸君津郡誌」を現代文にしてみました。
※細部について正しいかどうかは、私にはわかりませんが、概ね正しいように思います。
<AIによる翻訳>
江戸時代初期の慶長九年(1604年)、久留里城主であった土屋忠直が、この寺を開創し、寒洲文充(かんしゅう ぶんじゅう)を開山とした。寺の領地として五十石を寄進し、香華院(こうげいん)=菩提を弔う寺とした。
文充は、天皇から「仏光普照禅師(ぶっこうふしょうぜんじ)」という称号を賜り、忠直の叔父であった。土屋氏の領地が攻められた際、この寺もまた領地を失った。その後、黒田直純が久留里城主となったとき、再び五十石がこの寺に寄進された。この寺には、武田信玄が使ったと伝わる五百羅漢像の数珠一連や、徳川家康が使ったとされる茶碗一つ、そのほかの書籍や骨董品が収蔵されている。
境内案内
山門の先が参道となっていて、正面に本堂が建っています。本堂裏側には千葉県最大の五輪の塔が三基建っています。本堂右側に深さ750mとされる井戸があり、井戸の右側は真言宗智山派の「山王山 薬王院 円如寺」です。
参道
参道入口に山門が建っています。屋根が崩れかけているので山門の下は立ち入り禁止です。
手水石
境内の荒廃に比べて手水石は新しいようです。
本堂
本堂向拝には龍と獅子の彫刻が見られます。
龍と獅子の彫刻
大きなものではありませんが、立体感はあります。「波の伊八?」、「後藤義光?」裏へ回って確認してみます。
通常は裏側に彫工師の銘が刻まれていますが、これは炭書きのようでまったく読み取ることができません。
あるブログに本堂彫刻は「後藤忠明」と書かれていますが、この龍の彫刻かどうかは確認できませんでした。
後藤義光の系譜を調べてみましたが「後藤忠明」の名は見当たりません。更に調べてみると上総地方の宮彫師、安西順一の師匠である「後藤忠明(ごとうちゅうめい)」の事のような気がします。
五輪の塔の案内板
本堂手前に「県内最大五輪の塔」の案内板があります。五輪の塔は平安時代~鎌倉時代に多く建てられた供養塔やお墓でお寺や神社で普通に見ることができます。
どの位大きいのか? 裏へ行って確認してみます。


土屋家五輪塔三基
これが千葉県最大とされる「土屋家五輪塔」で君津市文化財(史跡)に指定されています。
もっと大きなものを想像していましたが、それほど大きくは感じません。案内板を要約すると以下のようになります。
初代土屋忠直は、武州武田氏の家臣「土屋昌恒(まさつね)」の遺児で、武田氏の滅亡後、徳川家康の関心を引き、その子忠秀の近習となった。忠直は慶長七年(1602年)七月、石高二万石の久留里藩主となり、同十七年(1612年)四月、三十四歳で没した。二代目利直(としなお)は名君の誉高く、新井白石親子を家臣にかかえ藩の発展に尽くし、延宝三年(1675年)四月、六十九歳で逝去した。しかし、三代頼直(直樹)の時にお家騒動があり、延宝七年(1679年)八月、土屋家は改易となった。
土屋家の菩提寺の円覚寺は千光山香華院円覚寺と号し初代の忠直により創建された曹洞宗の寺院で、寺領五十石を拝領したといわれる。
五輪塔は安山岩製で、本市で最大級の五輪塔郡である。三基の五輪には「地水火風空」の文字が刻まれている。
正面に向かって左側が忠直の墓塔(高さ401cm)で地輪の正面に「為琴窓静閑居士菩提也 時慶安四辛卯年七月九日」、裏面に「御落命之年号 慶長十七年壬子年卯年七月九日」とあり、忠直没の二十九年後に建立されたことがわかる。
中央は直忠の正室(せいしつ)の墓塔(高さ365cm)で、地輪の右側面に「大壇越土屋民部少輔源朝臣利直公慈母大施主正覚院殿天室青大姉信女寿位」、左側面には漢詩が記されている。
右側は二代目利直の墓塔(高さ347cm)で、地輪の正面には「為普乾院殿俊林道栄大居士菩提也」と刻まれている。
令和四年三月
君津市教育委員会
関連サイト:千葉県くるりんまっぷ円覚寺
※ここまで書いて、撮影した写真や文章に大きな矛盾があることに気が付きました。でもそれは書かないことにします。写真と文章を注意深く見れば気付くかもしれません。
深さ750mの上総掘りの井戸
上総掘りは人の力で500m以上掘削可能な技術として国重要無形民俗文化財に指定されています。
久留里周辺は千葉県で唯一「名水百選」に指定されていて、現在でも約200本の自噴井戸があり、県外からも多くの人が水を汲みに来ています。
地下500から自噴する水は、国内ばかりでなく、世界でも稀な名水となって注目されています。
千葉県上総掘りの仕組みと歴史