子安神社(こやすじんじゃ)
神社概要
【旧社格】村社
【祭神】
・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
【御利益】安産、厄除け、子孫繁栄など
【御朱印】電話でお問合せください
【祭礼】
【由緒・沿革】(境内の案内板より抜粋)
子安神社は、仁徳天皇の御世(五世紀中頃)子安の地に人々が住み始めた頃に創建されたと伝わります。中世、子安村が対岸の神奈川県の称号名(横浜市金沢区)の寺領であったために「金沢文庫文章の、元徳二年(1330年)」の文中に子安村に神田、神畠のあることが記述されています。
子安神社明細帳によると室町時代の応年十五年(1408年)に本殿改築、代々の領主地頭より初穂米が奉納されています。子安神社は明治以前は「子安大明神」「子安安産大明神」と呼ばれ、祭神に因(あな)み安産の神として崇敬され、西上総の村々に子安講という講社を持ち広範な人々に信仰されていました。
明治維新後に「子安神社」と改称され村社となります。
明治四十二年(1909年)十二月、日枝神社および八幡神社を合祀。昭和六十三年(1988年)九月に神明神社および熊野神社を合祀し、境内には富士講の石碑、八幡神社、熊野神社、正一位稲荷が祀られています。
社殿は昭和六十一年(1986年)五月五日に竣工、社務所は同年十二月に竣工。
平成元年(1989年)四月社務所、社殿再建。
境内案内
入口から拝殿までの間に鳥居、常夜灯、手水舎、記念碑、右側に社務所があります。
正面奥には、拝殿と本殿が鎮座、拝殿右側に合祀された末社が鎮座します。
鳥居
参道入口の朱塗りの鳥居。形状は両部鳥居。年代は刻まれていないので不明。
常夜灯
鳥居裏の一対の常夜灯。年代は不明で四月吉祥日と刻まれています。
安産祈願、初宮詣、厄除祈願、地鎮祭など、各種祈願を行っています。
手水舎
手水石は江戸時代前期の元禄十五年(1702年)三月吉日。
記念碑
左下の写真は土地奉納記念碑。平成元年(1989年)四月とあり奉納者の氏名が列挙されています。
右下の写真は子安神社再建記念碑。
常夜灯
奉納は江戸時代後期の文政二年(1819年)巳卯(つちのとう、きどのうさぎ、きどのう、きぼう)六月吉祥日
末社
拝殿右側の末社。文字が刻まれていないので、どれがどの神社なのか分かりませんが、神明神社、熊野神社、八幡神社、正一位稲荷のいづれかだと思われます。
富士講
富士講は、江戸時代に成立した富士山を信仰する民衆信仰のひとつ。
拝殿
境内の再建記念碑によると社殿と本殿は平成元年(1989年)に再建とあります。
本殿
詳細情報
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