鋸山 日本寺【大仏・地獄のぞき・千五百羅漢像・百尺観音像】

2018年05月24日

鋸山 日本寺(のこぎりやま にほんじ)

 
鋸山全体が境内となっている「乾坤山 日本寺」は千葉県市下有数の観光スポットです。

令和3年7月16日に鋸山の歴史や文化は日本遺産候補地域に認定されました。

 
日本一の大仏、地獄のぞき、千五百羅漢道、百尺観音など見どころ満載。山頂エリアは千葉県随一の撮影スポット!。
すべてを鑑賞するには丸2日を要すると言われています。
 
今回は実際に登頂上して広大な境内をくまなく撮影。重要ポイントを豊富な写真で紹介します。
 
日本寺は約1300年前、行基により開かれたとされる関東最古の勅願所です。境内は大変広く鋸山(のこぎりやま)の斜面約10万坪程あり、ハイキングしながら参拝できます。石製大仏座像として日本最大の大仏「薬師瑠璃光如来」、千五百羅漢像、百尺観音像、スリル満点の「地獄のぞき」、国指定重要文化財の「日本寺鐘」など見どころの多いお寺です。
 
【宗派】曹洞宗
※南房総市本織延命寺
【山号】乾坤山(けんこんざん)
【本尊】薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)(薬師本殿)
    千手十一面観世音菩薩(観音堂)
    開運大黒天(大黒祠)
    願王地蔵尊(法堂)
【御朱印】管理棟にて販売しています
【拝観料】鋸山日本寺 拝観料をご覧ください  
【由緒】(参考文献:鋸南町史)
聖武天皇の詔勅と光明皇后の令旨に基づき、行基上人により神亀二年(725年)六月八日に開創された関東最古の勅願所です。昭和十四年(1939年)には登山者の過失による火災で本堂や仏像他多くの文化財を消失し、再興計画が立てられましたが第二次世界大戦や資金難などにより再興が遅れ現在に至ります。
 

鋸南ロープウェー

 
JR内房線「浜金谷駅」より徒歩約8分。駐車場から山頂エリアまでは徒歩でも行けますが、ロープウェーも利用できます。
【運行時間】
 冬季(11月16日~2月15日)9:00~16:00
 冬季以外         9:00~17:00
 元旦 5:30より
【運行間隔】15分
【所要時間】山頂まで約4分
【旅客運賃】鋸山ロープウェー
 

境内案内

 
駐車場は全部で三ヶ所あります。西口管理所前、大仏口管理所前は有料、東口管理所前は無料です。
1.表参道エリア
 蝸牛石、弘法井戸、仁王門、観音堂、心字池
 
2.中腹エリア
 東口管理棟、大黒堂、薬師本殿(醫王殿)、乾坤稲荷、四方竹、頼朝蘇鉄、呑海楼、通天窟
 
3.大仏広場
 お願い地蔵尊、大仏(薬師瑠璃光如来)
 
4.羅漢エリア
 弘法大師護摩窟、西国観音、百躰観音、聖徳太子像、あせかき不動、日牌堂、奥の院無漏窟
 
5.山頂エリア
 山頂展望台、地獄のぞき、百尺観音、十州一覧台、浅間神社
 
日本寺の案内画像
 

 

1.表参道エリア

 
表参道エリアは小櫃川の横が入り口となっていて、入り口から中腹エリアまで徒歩約20分です。中腹エリアには駐車場があるので、時間が無い方は中腹エリアまで車で行くことができます。
 
表参道入口の画像
 

蝸牛石(かたつむり石)

 
カタツムリの様な形をしているのでこの名で呼ばれるようになりました。写真はちょっと分かりづらいです。
 

弘法井(弘法大師手穿の井)

 
弘法大師井戸が金剛錫で突き刺したら水が湧き出たという伝説の井戸。今でも水をたたえています。
 
蝸牛の画像弘法井の画像

 

仁王門

 
元禄七年(1694年)の再建。仁王像は仁王像は慈覚大師の作といわれ、扁額の「乾坤山」は、韓国の王族「李埈鎔公」の書。堂前の扁額「円通閣」は旗本曽根懶斉の書。
 
仁王門の画像仁王像の画像

 

観音堂

 
日本寺の観音堂は安房国札三十四観音霊場の第八番に指定されています。
<ご詠歌>
はるばると のぼれば日本の山おろし 松のひびきも み法なるらん
本尊は慈覚大師作の千手十一面観世音で、堂は元禄十三年(1700年)造営、昭和三十二年(1957年)年に瓦葺に改修。
 
観音堂の画像
 

心字池(しんじいけ)

 
観音堂を上ったところにあります。形が草体の心をかたどったのでこの名前がつけられました。池畔には磴(とう)道の開さくや、羅漢像の首つなぎ等大修理の復興記念碑があります。その右手経王台の牌の背後の窟にある高さ一尺あまりの石像は、精緻をきわめ美術家の一顧に値すりもので、武田石翁の作とされています。
 
心字池の画像

 


 

2.中腹エリア

 
左下は表参道管理所、右下は岩をくりぬいた中にある乾坤稲荷(けんこんいなり)で祭神は荼吉尼天(だきにてん)。乾坤とは天地や陰陽という意味。案内板には「荼吉尼天を祀り、衆生の心垢を食し良く仏慧に入らしむ。」とあります。
 
表参道管理所の画像乾坤稲荷の画像

 

日本寺鐘 国指定重要文化財(昭和51年6月5日)

 
高さ117.5cm、光景62cm。鐘名に下野州(栃木県)佐野庄堀籠郷応竜山天宝禅寺と刻まれていて、初めは現在の栃木県佐野市の天宝寺鐘として寄進され六十年を経て鎌倉の浄妙寺の鐘となり、ついには江戸湾を渡り日本寺の鐘となりました。
 
日本寺鐘(国指定重要文化財)の画像梵鐘のアップ画像

 

薬師本殿(醫王殿)

 
昭和十四年(1939年)の火災により消失し、平成十九年に再建。長い間仮本堂にあった日本寺の御本尊は薬師本殿に移されました。
 
薬師本殿(醫王殿)の画像
 

大黒堂

 
昭和十四年(1939年)の火災により消失し、平成十七年に再建。堂内には弘法大師作とされる大黒尊天が安置されています。
 
大黒堂
 
写真はありませんが、中腹エリアは見どころが多く、以下があります。
・頼朝蘇鉄:源頼朝自ら植えたとされる大蘇鉄で樹齢800年以上とされています。
 引おろす鋸山の霞かな は小林一茶の師の竹阿の師の碑でこの碑の除幕式には一茶も列席したそうです。
・四方竹(しほうちく):中国原産の竹で茎は四角形の形をした珍しい竹です。
・呑海楼(どんかいろう):天明八年(1788年)に天下泰平、国家安全祈願のため大口屋平兵衛が寄進。海が一望でき、休祭日に茶屋として公開されます。
・通天窟:中興の祖愚伝禅師、永平寺開山の道元禅師、総持寺開山、瑩山禅師の両開山像を祀ります。

 


 

3.大仏広場

 

大仏(薬師瑠璃光如来)

 
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい) は世界平和、万世太平を祈願し建立されたもので、総高31.05m、座高21.3m、奈良の大仏16.2m、鎌倉の大仏10.6mをはるかにしのぐ日本最大の石製の大仏です。(青銅製大仏立像としては牛久大仏が日本一120m)原型は天明三年(1783年)名工「大野甚五郎英令」が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものです。その後江戸時代末期には風蝕や亀裂により著しく崩壊しましたが、昭和40年に4年間に渡り修復され、昭和44年6月に現在の姿となりました。
 

お願い地蔵尊

 
大仏広場に安置されているお願い地蔵尊は、さまざまな願いが叶えられるとされ、祈願する人の氏名を書いた小さなお地蔵様が多数奉納されています。
 
大仏(薬師瑠璃光如来)の画像

 


 

4.羅漢エリア

 
大仏広場から山頂までのルートには「東海千五百羅漢」と呼ばれる多くの石像群が安置されています。これらの石像は安永九年(1780年)愚伝和尚の大願により上州桜井(現在の木更津市)の名匠「大野甚五郎英令」が門弟27人とともに20年間の歳月をかけて彫ったもので、その数は実に1153体(1353,1253,1053とも伝えられています)に及び世界一の数です。かくて保田羅漢の名は一躍海内に知れ渡るようになりました。
 
明治維新の排仏棄釈以来迷信などにより石仏が破壊され荒廃し、首なし羅漢の汚名が広まったため、大正四年(1915年)全部の復興を遂げましたが、以来50年更に荒廃しました。
千二百羅漢の中には必ず自分の顔に似たものがあり、誰にも知られないようにその首を取ってきて供養すると願が叶うという迷信が広まりました。大正十二年の関東大震災では多大の被害を受け昭和三十八年には数百の首つなぎを行うとともに、鉄柵を施し保護に専念しています。
 

護摩窟(ごまくつ)

 
(案内板より抜粋)
弘法の護摩窟
千年香畑薫る
 
護摩窟の画像
 

不動滝 左下

 
(案内板より抜粋)
茫々たる宇宙人無数
幾箇の男児が是れ丈夫
 

聖徳太子像 左下

 
(案内板より抜粋)
法中の王最も高勝
河沙の如来同じく共に証す
 
不動滝の画像聖徳太子像の画像

 

維魔窟(ゆいまくつ)

 
(案内板より抜粋)
不思議解脱の力
妙用恒沙、也(ま)た極まり無し
 
維魔窟の画像
 

日牌堂(にっぱいどう)

 
(案内板より抜粋)
諸行は無情にして一切空なり
即ち是れ如来の大円覚
 
日牌堂の画像
 

宝篋印塔(ほうきょういんとう) 左下

 

百躰観音 右下

 
(案内板より抜粋)
衆生被困厄(しゅじょうひこんやく) 無量苦逼身(むりょうくひつしん) 觀音妙智力(かんのんみょうちりき) 能救世間苦(のうくせけんく)
四国・坂東・秩父観音を合祀す
宝篋印塔の画像百躰観音の画像

 

百躰観音 左下

 

通天閣 右下

 
(案内板より抜粋)
巌陜く関を通るが如く
柳面すれば天に登るに似たり
 
百体観音の画像通天閣の画像

 

あかせき不動尊

 
画像はありませんが、衆生済度のため、毎日汗水たらして働いてくださるありがたいみ仏として、古来から「あかせき不動尊」の名で知られその霊験は天下の崇拝をあつめています。
 

 


 

5.山頂エリア

 

地獄のぞき

 
鋸山山頂の「地獄のぞき」は房総屈指の観光スポット。房州石を切りだした跡の絶壁はスリル満点!
ここのからの眺めは房総一と言っても過言ではなく、東京湾を一望できます。
 
地獄のぞきの画像
 

十州一覧台

 
十州一覧台の「十州」とは江戸時代の「関八州」(常陸、下野、上野、武蔵、下総、上総、安房、相模)に伊豆と相模を加えたものとされています。
 
山頂展望台からの眺望山頂展望台の画像

 
展望台の景色は絶景!! 手前の港は金谷港。対岸は久里浜周辺です。
 
山頂から金谷港を望む
 

鋸山(のこぎりやま)とは

 
その名と通り奇峰が鋸の歯のように連なり鋸の刃のような形をしているので鋸山と呼ばれるようになりました。昔は元名山、薬師山、限り山とも呼ばれ、海の向こうの三浦人々からは丸く見えるので房州の丸山とも呼ばれていました。
十万余坪(33万㎡)の境内は千葉県指定の名勝となっていて、十八勝、三十六景など数多くの秘境に富み、三尊御来迎の姿といわれる瑠璃、日輪、月輪三峰の大偉観。すべてを鑑賞するには二日を要すると言われています。すぐれた景観のみでなく、学術的にも貴重な存在で、山中の地質、動植物を調査研究するものには「天然の大博物館」として注目されています。
 
(参考文献:鋸南町史・千葉県安房郡誌)
鋸山は千葉県富津市と安房郡鋸南町に位置する山で、標高は329.4m。千葉県第6位の標高です。鋸山の石材は、凝灰質砂岩から成り「房州石」「元名石」などと呼ばれます。口伝では土木、建築用として徳川初期の頃から産出されたといわれ、中腹から上の関層郡中から切り出されます。岩を切り出した跡が鋸の歯のようにギザギザになっていることから「鋸山」と呼ばれるようになりました。
 
明治時代に入ると加知山藩では藩の産物として石材を重視。横浜方面の商人と契約を結び、石材の増産、販売の統制をはかりました。明治末期までの切出しは原始的なツルハシにより、溝流しによって麓へ運ばれ、港から京浜方面へ移送されました。明治時代から大正時代にかけて、房州石は1本1円の高値でも飛ぶように売れたといい、石切工の手間は1日30~40銭(1円=100銭)たらず。米1升15銭ではとう底暮らしてゆけなかったといわれ、賃金に関して数回ストライキが繰り返されたようです。
 
房州石は、幕末から明治、大正、昭和にかけて京浜方面の港湾施設、東京湾の要塞などに利用され、靖国神社や、早稲田大学の構内にも利用されています。
1985年には自然保護規制により採石を終え、石切場跡はそのままの状態で残され観光資源として利用されています。
 
<千葉県の山の標高ランキング>
1.愛宕山(あたごやま)  408m
2.鹿野山(かのうざん)  379m
3.清澄山(きよすみやま) 377m
4.富山(とみさん)    349m
5.伊予ヶ岳(いよがたけ) 336m
6.鋸山(のこぎりやま)  319m    
 
山頂展望台を横から撮影
 

百尺観音

 
四面百尺百尺余りの岸壁に囲まれた「百尺観音」は世界大戦犠牲者の供養と世界平和のため昭和35年春から6年余りの歳月をかけて昭和41年春に完成。高さ30m切り立った房州石に浮き彫りにされた立像です。
航海、航空、陸上交通を守る本尊です。
 
百尺観音の画像

詳細情報

名称

乾坤山(けんこんざん)日本寺(にほんじ)

住所

〒299-1901 千葉県安房郡鋸南町元名184

お問い合わせ先

0470-55-1103

※スマートフォンの方は電話番号をタップで直接電話できますので、営業時間や定休日をご確認下さい。
また掲載されている情報はこの記事を掲載した当時の情報ですので、古い場合がございます。
お問い合わせの際は「『房総タウン』を見た」とお伝えください。

営業時間

拝観時間8:00~17:00
※冬季は16:30を過ぎると暗くなります

駐車場

あり

アクセス

電車:JR内房線「浜金谷」または「保田」駅下車
※ロープウエイ利用の場合は、「浜金谷」駅で下車、表参道から登る場合には、「保田」駅下車
保田駅から仁王門までは徒歩約45分です。
東京湾フェリー:久里浜・東京湾フェリー(35分)
車:東京湾アクアライン⇒富津館山自動車道路「富津金谷IC」または「鋸南保田IC」下車
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