サイドメニューアイコン
トップスライドアイコン

館山・南房総ポータルサイト 房総タウン ページロゴ

磯辺神社

磯辺神社の境内全景

磯辺神社(いそべじんじゃ)

 

安房郡鋸南町大帷子(おおかたびら)の磯辺神社は天鈿女命(あめのうづめのみこと)、七面天女(しちめんてんにょ)を祭神とする神社です。
神社境内は非常に狭いのですが、内房なぎさライン(国道127号線)沿いにあるので割と目立ちます。横の小川(名称は不明)に架かる『七面橋』は神社の祭神と同じ名前です。
 
当サイトでは南房総の神社を400件ほと掲載していますが、天鈿女命、七面天女を祭神とする神社は初めてです。
天鈿女命は『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記。日本神話の「天岩戸」に登場する芸能の女神です。
七面大明神は七面天女とも呼ばれ、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神です。
 

磯辺神社概要

 
【社格】無社格
【祭神】天鈿女命(あめのうづめのみこと)、七面天女(しちめんてんにょ)
【ご利益】歌、踊り、芸能関係
【祭礼】毎年9月第4金曜、土曜保田地区合同祭の大杉様
保田地区の祭りは大杉様と呼ばれる非常に珍しい山車が出ることで有名です。
 
・大澤 加茂神社
・浜  加茂神社
・芝台 加茂神社
・川向 磯邊神社
・中原 日枝神社
・中道 保田神社
・本郷上 貴布禰神社、貴船神社
・元名  八幡神社、鶴崎神社
・吉浜  吉浜神社
【ご朱印】なし
【由緒・沿革】(参考文献:鋸南町史)
江戸時代前期の天和元年(1681年)に本尊の七面天女を勧請したと伝わりますが、実質は曼荼羅であったようです。神崎家文書によると当神明神社は、江戸時代中期の宝暦八年(1758年)、江戸時代後期の安永五年(1776年)に本社再建とあります。嘉永の差出帳には又七面神とあり、明神、七面の両方を祀っていたと思われます。
 
明治六年(1873年)四月、神仏混交(神と仏を同時に祀ること)の禁令により七面大明神は町内の大行寺に奉還し、改めて天鈿女命を勧請。社名を改めて磯辺神社と奉名。大正十二年(1923年)の関東大震災に社殿が倒壊、同十五年の十二月木造瓦葺きの社殿に再建。大行寺に移した七面社棟札には△△△七申年十一月二十日勧請・・・とありますが、年号が消えて不明。また、磯辺神社社内の棟札は寛政十二年(1800年)四月十九日以降のもののみで、磯辺大神とありますが、これは後世の書き改めで最初の名称は不詳です。

 

境内案内

 
鋸南町史によると境内約30坪とあります。入口に鳥居があり、常夜灯、手水石が二基、数基の石祠があり、奥に社殿が鎮座しています。
 

鳥居

形状は笠木に反りがある明神鳥居(みょうじんとりい)。年代は不明。
 

石灯篭

鳥居の次にあるのが一対の常夜灯。形ははっきりと残されていますが、年代は不明。
磯邊神社の石灯篭(左)磯邊神社の石灯篭(右)

 

手水石

手水石は丸型のものと角型のものがあり年代は不明。
しかし・・・この手水石で手を洗う気にはなれません。ボウフラ、ミジンコ、ミドリムシ・・・など得体の知れない様々ないきものが生活しています。
磯邊神社の手水石(丸型)
 
磯邊神社の手水石(角型)
 

石宮・小祠

石宮・小祠は数基あり、いづれも文字は読み取れません。
鋸南町史には以下のように記載されていますが、この神社にあるものなのかどうかはわかりません。
下の文章は個人名ばかりで、読んでもさっぱりわかりませんが、なんとなく面白いので紹介します。
それにしても江戸時代は~衛門や~兵衛の名前が多いです。
以下はすべて個人勧請ですが、その祭祀については部落または組が関係したようで、次第に昇格してゆく小祠の段階を示しています。
・上郷稲荷:六郎兵衛家の裏山にあったが、今、大日堂側に遷座した。
・房ヶ谷稲荷:天明七年(1787年)伏見より勧請。字石塚にあり高橋藤兵衛醍醐斧右衛門らの祀る所。
・下郷稲荷:瀬兵衛家の祀る所、創立不明。
・権現:儀兵衛家の勧請すなわち橋名の由来。神名不明。
・御嶽:精工舎裏山頂、五郎左衛門家の勧請。すなわち山名の由来。
・秋葉社:切通山上。八郎兵衛家の勧請。
・秋葉の石宮:字宮田の山上。由来不詳。今ひい通し家(当主石井忠雄)に安政二年の幟が伝えられている。
・弁天の石宮:字天王川浅間への道。文化六年(1809年)八月二十三日吉右衛門、吉郎兵衛、清左衛門とあり、もと本郷中道の真田吉右衛門(今の松の湯前)に祀られていたが現在私有地内に移転。
磯邊神社の石宮
 
磯邊神社の石宮アップ
 
磯邊神社の拝殿

このページをご覧になった方は
こんなページもご覧になっています