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本織神社 武田石翁の誕生地

本織神社鳥居と本殿の画像

本織神社(もとおりじんじゃ)

 
祭神:不明
祭礼:10月
三芳の本織地区には本織神社が2社あります。本織667番地の本織神社は祭神が金山彦命なのですが、こちらの本織1175番地については祭神がわかりません。
境内には安房の名工「武田石翁」誕生の地の碑があります。
 
本織神社石碑の画像
 
本織神社武田石翁誕生の碑の画像
 
本織神社武田石翁の紹介文の画像
 
<境内案内板より>
 武田石翁
石の美術工芸において、その見事な腕前は「波の伊八」「後藤義光」と並ぶ日本でも有数な彫刻家であった。
石翁は、本織村(現三芳村)の宇戸の名手鎌田四朗左衛門金明の末子として、安永八年(1779年)生まれる。その先祖は甲斐武田氏の出身で、後、石翁が武田を名乗るのにはこの理由からであろう。
七歳の春には欅(けやき)の木の株を用いて、天狗の面を彫刻した。鉛の眼球は左右に動き、また舌を出すという凝ったもので、人々を驚かせたという。
●寛政三年(1791年)十三歳の時、元名村(現鋸南町)小瀧勘蔵の弟子となる。
●寛政九年(1797年)白浜村(現白浜町)野島崎厳島神社の七福神を彫刻
●寛政十年(1798年)上州榛名山に登り瀧口の龍を彫刻
●享和元年(1801年)師匠小瀧勘蔵のむこ養子となる
●享和三年(1804年)山荻村(現館山市)福楽寺宝篋印塔造立
●文化十一年(1814年)本織村普門院(延命寺)地蔵尊造立
●嘉永三年(1850年)館野村(現館山市)国分寺孝子碑造立
この他遺作は房州一円に秘蔵され、名品の一部は献上、買い上げ等の上り、上総、武蔵、会津、相模、上野、越中に及んでいる。
安政五年(1858年)八月四日元名村の自宅にて死去。享年八十歳
石の彫刻大術に一生を捧げた巨匠は、鋸南町の存林寺
に永眠す。
 
花の間は
香あり 散りては 匂いあり
(石翁)
 
三芳村文化協会
 


 
【住所】〒294-0822 千葉県南房総市本織1175
【駐車場】あり
 


 

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