万福寺(まんぷくじ)
富津市篠部の「平野山 慈眼院 万福寺」は真言宗豊山派の寺院です。境内裏には旧村社の「八坂神社」が鎮座しています。
新上総国三十三観音霊場 第二十一番札所。
万福寺概要
【山号】平野山(へいやざん)
【院号】慈眼院(じげんいん)
【寺号】万福寺(まんぷくじ)
【宗派】真言宗豊山派
奈良県桜井市長谷寺末
【本尊】聖観世音菩薩(しょうかんのんぼさつ)
【御朱印】あり
【由緒・沿革】
創建・沿革等については書籍が見当たらないため調査中。
安置されている釈迦如来坐像の説明によると像の作成が鎌倉時代とあるので、創建は鎌倉時代以降と推定されます。
【文化財】(境内案内板より)
銅造釈迦如来坐像及び両脇侍坐像
昭和五十五年二月二十二日 千葉県有形文化財指定
写真等は千葉県ホームページ銅造釈迦如来及び両脇侍坐像をご覧ください。
釈迦如来坐像(像高28.8cm)を中尊とし、向かって右側に文珠菩薩(像高11.7cm)、左に普賢菩薩(像高12.0cm)を脇侍とする三尊像である。寺伝によれば、鎌倉慈眼寺の僧道円が、戦火を避けて三尊像を持って篠部に渡り、浜辺に庵を作り安置したのが起源とされる。
各像とも頭部と体部を一鋳につくり、背部は別鋳、全体に銅の厚さは薄い。中身は穏やかな姿で衣文は浅く、藤原期の作風がほのかにうかがわれる。作成年代は鎌倉前期と推定される。
普賢菩薩の乗る像の腹部右横に「檀那 沙弥同円」、同左横に「正慶元壬申十月八日」と刻銘があり正慶元年(1332年鎌倉時代末)に作成された可能性がある。
獅子と像に乗る両脇侍を従えた珍しい釈迦三尊像の古例の一つである。
なお、中尊の台座、両脇侍の蓮華は昭和の新補である。
令和三年三月一日 富津市教育委員会
万福寺境内案内
境内入口に地蔵菩薩、庚申塔などがあります。
石像の先は広い駐車場、山門があり、奥に本堂が建っています。本堂裏には旧村社の「八坂神社」が鎮座しています。
入口の庚申塔と地蔵様。年代は彫ってありますが風化して読み取れません。
境内全景
山門の先が境内。境内には宝篋印塔、仏像などが点在し、奥に本堂が建てられています。
弘法大師
左のノボリは南無大師遍照金剛。とあり弘法大師空海に帰依するの意味。
右の仏像左の「報恩謝徳」は恩に報ひ徳に謝すという意味。簡単に言うと恩返しをするということ。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
安房、上総地方で多くの宝篋印塔を見てきましたが、この宝篋印塔はその中でも最大級の大きさ。
勝浦市の妙覚寺もこの位の高さです。
年代は読み取れませんが、奉納者に「右衛門」や「左衛門」の名前が刻まれていることから江戸時代以前のものと思われます。
※明治時代には国名・旧官名使用が禁止された。
篠部八坂神社(しのべやさかじんじゃ)
【旧社格】村社
【祭神】須佐之男命(すさのおのみこと)
【祭礼】7月第2土曜または第2土曜
【由緒・沿革】
富津市史に詳細な記述はなく、他の書籍も見当たらないため調査中。
境内全景
境内は大木に覆われています。狛犬、常夜灯、奥に拝殿が鎮座。
手水石
奉納は江戸時代後期の萬延元年(1860年)六月。奉納者に右エ門、~兵衛の名前が刻まれています。
常夜灯
常夜灯の年代は「六月」だけ読み取ることができます。
狛犬
狛犬は明治十四巳(み)年(1881年)と刻まれています。
詳細情報
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