平舘稲荷神社(へだていなりじんじゃ)
平舘稲荷神社は千倉町の稲荷山の中腹に鎮座する神社です。毎年2月の初午には露店が出て賑わいます。
※2020年の初午は2月9日ですが、撮影日は2月4日だったので露店は出ていませんでした。
【祭神】倉稲穂命(うがのたまのみこと)。一般に「お稲荷さん」として親しまれています。
【ご利益】商売繁昌・五穀豊穣・万病平癒・学業成就など
【由緒】不詳
【祭礼】7月第2土曜、日曜
千倉のまつり(初日)
千倉のまつり(2日目)
初午とは
毎年2月になると全国各地の稲荷神社で「初午大祭」が執り行われます。この周辺では、3年に一度白浜町小戸の稲荷神社で開かれる小戸の初午が知られています。ここで言う”午(うま)”とは十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)の午のことであり、中国で生まれた時間や方位を表す単位です。十二支の歴史は相当に古く、どこから始まっているのかは分からないようです。十二日で一巡するので初午の日は毎年変わります。
インターネットでは60日で一周する干支カレンダーはたくさんありますが、十二支カレンダーは少なくやっと見つけました。
毎年の2月の初午を調べるにはこのサイトが便利です。
十二支は十二日で一巡するので毎年の初午は本来1月となるはずです。どうして2月の初午の日に初午祭が開かれるのでしょう?
それは、総本社である伏見稲荷の初午祭が2月だからです。伏見稲荷では、本来旧暦2月の最初の午の日を初午の日と決めていましたが、現在では新暦2月の最初の初午の日と定めています。
それでは旧暦はどうやって計算しているのでしょうか?
色々なサイトを読んでみましたが私にはさっぱり理解できません
興味のある方はWikipediaの旧暦を読んでみてください。
旧暦/干支カレンダー
伏見稲荷と豊川稲荷
京都の伏見稲荷大社は全国に3万社あるといわれる倉稲穂命を祀る稲荷神社の総本社。一方、愛知県の豊川稲荷は神社ではなく、「円福山 豊川閣 妙厳寺」という曹洞宗の寺院であり本尊は豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)です。千倉町史によると、平舘稲荷神社の創建や由緒は不詳、祭神は倉稲穂命となっているので、詳しいことは分かりませんが、伏見稲荷の倉稲穂命を分霊したのではないかと思われます。
神社入口は「家具のほりえ」横の露地です。初午の日には入口に「平舘稲荷大神」の幟が立てられます。
参道入口にも上りが立てられ、提灯が稲荷山の頂上まで続いています。
稲荷山は標高40mほどの山で見晴らしのよい山です。かつては旱(かん)ばつにに苦しむ農民が鐘を叩き念仏を唱え雨乞いをした故事があり、「雨乞塚」とも呼ばれます。
初午の日は参道の石段の両脇に赤い鳥居が立ち並びます。
一の鳥居
参道に入り最初の鳥居は明神鳥居。伏見稲荷の千本鳥居と同じ形ですが、伏見稲荷は朱塗りです。建立は明治四十三年(1910年)九月。
二の鳥居
飾りがあるので、正確ではありませんが、鹿島鳥居のようです。
狛犬
奉納は大正十一年(1922年)三月十六日。一般的に狛犬は獅子や犬に似た想像上の霊獣で鬣(たてがみ)がありますが、平舘稲荷神社の狛犬(狛狐)はお稲荷さんを祀ってあるので狐の形です。
※伏見稲荷大社には狛犬と狛狐の二種類があります。
境内入口は二の鳥居、狛狐があり、左側に小さな社、正面には拝殿、右側には手水舎があります。
拝殿左には岩をくり抜いた社があります。文字が見当たらないので何の社かは不明です。
拝殿(本殿)
境内中央にあるのが朱塗りの拝殿。
後藤義光の彫刻
拝殿向拝には千倉生まれの彫工師、初代後藤利兵衛橘義光(1815年~1902年)の龍と獅子の彫刻があります。
この作品は明治三十年(1987年)義光八十三歳の頃のものです。なお、義光の生家は稲荷神社のすぐ近くに残されています。
左側から撮影すると本殿と拝殿とが一体となっているのが分かります。
拝殿右側には稲荷山への登り口があります。
見晴らしが良いというのを聞いていたので、ちょっと登ってみようと思ったのですが・・・
所々に木が倒れていてロープが張り巡らされていたので今回は撤収することとしました。
境内入口には穴の空いた大きな奇岩があります。千倉町にはこのように変わった形の岩が各所に見られます。
千倉の川口付近の海岸には昔の大地震で隆起し柔らかい部分が長い年月をかけて侵食した屏風岩が見られますが、これとはちょっと形が違います。
この周辺では千倉町平舘のカエル岩・神楽石(かぐら岩)・礫石(つぶて石)が知られています。