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神明神社【南房総市文化財の小浦の弁天様】

神明神社

神明神社(しんめいじんじゃ)

 
南房総市小浦の神明神社は小浦港の奥に鎮座する小さな神社です。

神明神社概要

 
【社格】旧村社
【祭神】
・主神:大比留女貴命(おおひるめむちのみこと)⇒天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 太陽神、農耕神、機織神
・合祀:豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)
 食物・穀物の神
・合祀:市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
 水の神
・合祀:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
 穀物・食物の神
【祭礼】8月20日以降の土曜日 岩井地区の祭礼
 ■合戸/宮谷:八幡神社
 ■市部:天満神社
 ■久枝:天満神社
 ■岡/下里松/出口/浜下/本町 岩井神社
 ■竹内:八雲神社
 ■倹儀谷/二部:松尾神社
 ■小浦:神明神社
【ご朱印】不明
【文化財】弁天様 昭和39年11月5日 南房総市指定文化財
 同じ小浦の厳島神社(小浦の弁天様)に安置。明治四十二年(1909年)厳島神社は当神明神社に合祀されたため、現在は神明神社管理となっています。
【由緒・沿革】(参考文献:富山町史 通史編)
 江戸時代後期の宝暦二年(1752年)「安房国平群小浦村差出帳」に次のようにあります。
 ・鎮守伊勢神明 帛幣之儀ハ、六月十七日、十一月十七日、不入斗村美濃守相頼中候、神主ハ無座候
 ・稲荷 壱カ所
 ・山神 壱カ所
 ・弁天 壱カ所
「鎮守伊勢神明」がこの神社に当たるので、宝暦二年以前に勧請されたことになります。棟札によると、江戸時代後期の安永八年亥年(1779年)天屋、拝殿の造営と記され、願主、名主田中久太郎とあります。
 
江戸時代後期の弘化四年(1847年)には、住吉大明神(神功皇后)を奉斎(身を清めて祀ること)するために、氏神の社の普請(ふしん:造営)が行われました。その費用は、当時の坂之下村(現富浦町豊岡)の名主仲屋善兵衛により借入。
 
江戸時代後期の安政二年(1855年)拝殿、社頭造立が行われ、明治二十七年(1894年)には奥殿の大改修がなされ、その改修記が、社殿内に所蔵されています。この時の社殿は本殿、拝殿であり明治四十二年(1906年)には無格社の稲荷社、厳島神社を合祀。
 
当神社境内では、いつごろから始められたのか不詳ですが、毎年江戸大相撲が巡業し、近隣の村々からも大勢の見物客でにぎわったといいます。しかし、これも昭和初期に途絶えたといいます。(口碑)

 

境内案内

 
鳥居の先に参道はあり、右側は小浦地区の集会所となっています。参道の先は石段があり一段高くなった境内には一対の常夜灯があり奥に拝殿が鎮座します。そして、拝殿右奥には岩穴をくりぬいた金毘羅社が鎮座しています。
岩井神社境内
 

常夜灯

 
常夜灯の年代は不明。狛犬はありません。
 
境内には小さな手水石と石碑はありますが、いづれも年代は不明。石碑には文字が刻まれていますが、苔が多く読み取れません。
手水石小さな石碑

 

社殿

 
社殿の裏側に本殿が鎮座。
拝殿
 
扁額には「神明宮」の文字があり、小さく「永菅田」と書いてあるように見えます。
神明宮
 

金毘羅社

 
本殿の右横には岩穴をくり抜いた金毘羅社が鎮座。この神社については富山町史にも記載されていないので創建などは不明。
鳥居の形状は一の鳥居と同じく靖国鳥居(やすくにとりい)です。
金毘羅社全景
 
金毘羅社のアップ

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