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天満神社【南房総市市部】

天満神社の拝殿

天満神社(てんまんじんじゃ)

 
南房総市市部(いちぶ)の天満神社は菅原道真他4柱を祀る旧郷社です。8月に開催される岩井地区の祭礼は13もの地区が参加する大きなお祭りです。

 

天満神社概要

【社格】旧郷社
【祭神】
 ・主神 菅原道真(すがわらのみちざね)
 ・合神 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 ・合神 大山祇命(おおやまつみのみこと)
 ・合神 埴安彦命(はにやすひこのみこと)
【祭礼】
 祭礼日:8月20日以降の土曜日 岩井地区の祭礼
 13の地区が参加する盛大なお祭り。屋台が12基出祭し文化財に指定されている屋台も多い。
 <地区と神社>
 本町/岡/出口/下黒松/浜下:岩井神社
 竹内:八雲神社
 市部:天満神社
 久枝:天満神社
 合戸:八幡神社
 宮谷(みやのやつ):八雲神社
 二部:松尾神社
 倹儀谷(けぎや):検儀谷神社
 小浦:神明神社
【社宝】
 ・木造天神坐像 文化四年(1807年)
 ・神鏡(銅製) 享和四年(1804年)
 ・鰐口二口(銅製) 安永九年(1780年)/文化七年(1810年)
 ・社名額二面(木造) 拝殿:文化十三年(1816年)/本殿:天明五年(1785年)
【ご朱印】不明
【由緒・沿革】(参考文献:富山町史)
天満神社の別当寺である福聚院によると明和八年(1771年)の火災により記録、文章を焼失(富寺焼失日記)と記され創建、由緒も不詳と伝えられています。しかし、福聚院文章の「当寺扣書(ひかえがき)」によると天神社建立の願主・松平若狭守と、その奥方については明らかにされていませんが、寛文十二年(1672年)勝山藩祖酒井忠国が若狭小浜藩の藩主の奥方の安産祈願をするために社殿を造営したものであろうといわれています。
 
明治三年(1870年)「宮社取調書上ちょう市部村控」には次のようにあります。

産神天満宮

・本社 間口 三間弐尺
    奥行 三間壱尺
・拝殿 間口 三間壱尺
    奥行 三間
・石灯篭 一対
・祭神 菅原菅氶相
・勧請 年記不詳 社号改替無御座候
・神位 不詳
・祭日 九月廿五日
・社地 南北 弐拾間 地所往古陣内村方字
    東西 御屋鋪与申所江鎮座
・附地所 南北 三十間
     東西 七間 御改
・造営 酒井若狭守様 寛文十二子年御造営
    但式年無御座候
 
・明治九年(1876年)郷社に列せられる
・明治三十九年(1906年)神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定
・明治四十二年(1909年)荒神社、御霊神社、三嶋神社を合祀
・大正十二年(1923年)九月一日の関東大震災により本殿半壊・幣殿拝殿全壊
・大正十五年(1926年)社殿再建 

 


 

境内案内

 
祭りの幟
 

石祠

拝殿左にある石宮。左から子安神社、恵美寿神社、神明神社、三島神社
合祀した石祠
 

一千年祭記念碑

拝殿左手前の大きな記念碑。創建が寛文年間だとしても400年ほどしか経っていません。何の記念碑なのでしょうか?
一千年祭記念碑
 

拝殿

天満神社の拝殿
 

稲荷社

拝殿右側の小さな社は稲荷社。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。この稲荷社が勧請された年代は不明ですが、文化十年(1813年)三月朔日、別当福聚院祖梁僧(第十二世)の書いた「酒井大和守様御入国之日記」によると宮田清右衛門が大壇那となり、京都より「稲荷正一位大明神」の神位を受け、天満神社の信仰と共に「市部稲荷」として信仰されています。
稲荷社
 

祭りの屋台

屋台の彫刻は後藤庄三郎橘忠明/後藤与之吉藤原正明の作。
天満神社の屋台(側面)
 
天満神社の屋台(正面)
 
屋台の引き回し
屋台の引き回し

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