岩井神社(イワイジンジャ)
【祭神】素盞鳴尊(すさのおのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名神(すくなびこなのかみ)
【祭礼】8月 第3金曜・土曜
【由緒】磐井郷の総社として治安3年に建立されました
【文化財】
懸仏(かけぼとけ)と獅子頭(獅子頭) 南房総市指定文化財
<境内の掲示板より>
岩井神社は平安時代の後一条天皇の時に建立され、はじめは「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」と呼ばれました。後に明治初年「岩井神社」と改称。現在は「岩井御総社」で、昭和五十三年六月「千葉県規範神社」に指定されました。社宝に、鎌倉時代の「懸仏」(四面)が残っています。「懸仏」というのは、平安時代の中頃、神仏習合の信仰から生まれたものです。柱や壁にかけて礼拝しました。形はだいたい円形で、表面には仏像が彫ってあり、銅や鉄の板でできています。
また、「獅子頭」(三頭)があります。これは、昔富山の「ふりうまつり」(雨乞い祭り)に使われたものです。獅子頭をかぶり、羯鼓(かっこ)大鼓を腹の前に付けて軽快に舞うものです。これを「羯鼓獅子舞」といいます。富山の雨乞い祭りも、明治時代の終わり頃には行われなくなったようです。
南房総市教育委員会
浜下屋台 南房総市指定文化財
<境内の掲示板より>
浜下屋台の作者は当時の宮大工青木松治郎(城内)である。
この屋台の制作には、三年という長い年月を費やし明治二十四年(1892年)に完成した。その間初代後藤利兵衛義光は青木家に逗留して作成にあたり、八岐(やまた)の大蛇(おろち)や竜などを彫刻した。
初代義光は、文化十二年(1815年)千倉町の朝夷に生まれた木彫り彫刻の名手で、特に竜の作品に優れたものがあり、明治三十五年(1903年)八十八歳でその生涯を終わった。
初代義光の作品は現在も富山町ほか各地に残っている。
手水舎
手水石は大正六年奉納。
狛犬
昭和十二年奉納。
境内には多くの石碑が残されています。
祭りの日には大きな幟が立てられます。
南房総市文化財に指定されている浜下の屋台です。
他の神社仏閣を探す
房総タウンTOPへ戻る
詳細情報
名称
住所
お問い合わせ先
※スマートフォンの方は電話番号をタップで直接電話できますので、営業時間や定休日をご確認下さい。
また掲載されている情報はこの記事を掲載した当時の情報ですので、古い場合がございます。
お問い合わせの際は「『房総タウン』を見た」とお伝えください。