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波の伊八 屋敷・工房跡

波の伊八生誕の地の全景

波の伊八(なみのいはち)屋敷・工房跡

 

波の伊八とは

 
武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)は宝暦二年(1752年)に現在の鴨川市打墨で生まれました。千倉町の後藤義光、本織の石田石翁とともに安房の三名工と呼ばれ、南関東を中心に50点余りの作品を残しています。「波の伊八」と呼ばれるように「関東に行ったら波を彫るな」と言われ、躍動感あふれる波の作品を彫り、葛飾北斎の「富嶽三十六景」「神奈川県沖裏波」などの画風に強い影響を与えたと言われています。
 
伊八の名前は初代から約200年五代にわたって昭和29年まで受け継がれた。
初代 武志伊八郎信由    宝暦二年(1752年)~文政七年(1824年)12月19日 73歳
二代 武志伊八郎信常(常香)天明七年(1787年)~嘉永五年(1852年)9月19日 66歳
三代 武志伊八郎信美(信秘)文化十三年(1816年)~明治二十二年(1889年)9月23日 74歳
四代 武志伊八郎信明    文久二年(1862年)~明治四十一年(1908年) 46歳
   ※明治二十四年香取郡常盤村より山瀬仙蔵を養子とし明治二十六年に高石家を相続する。
五代 武志伊八郎信月 明治二十三年(1890)~昭和二十九年(1954年)7月12日 64歳

波の伊八屋敷・工房跡の案内板の画像
 
波の伊八屋敷・工房跡の全景画像
 

武志伊八郎(波の伊八)旧居跡 (石碑より)

 
江戸中期の建築様式の欄間等を彫る。ことに(関東に行ったら波は彫るな)と恐れられていたと伝えられている。鴨川市貝渚永泉寺(曹洞宗)の檀家で、寺の過去帳によると(了安道全居士)を祖とし、代々名主を勤めていた。大東亜戦争を境とし、彫刻家五代目、高石武一郎を以て絶える。一時、墓を鏡忍寺に移したが、子孫も遠方に移住したため、家代の供養を念じ、四代目仙蔵二女越雪マサの意志により、旧居住跡の旧墓地に戻す。
 
平成十七年九月吉日
四代目仙蔵二女越雪マサ建立
 
波の伊八の石碑
 
高石家の墓の画像
 
四代目仙蔵の次男
高石明 妻 雅子
昭和四十四年五月建立
 
四代目仙蔵の次男の墓
 
高石家の石像
 

初代伊八の主な作品

参考文献:名工波の伊八、そして北斎
 
鏡忍寺(鴨川市広場)祖師堂の蟇股(かえるまた)1771年
●舎那院(鴨川市北小町⇒鴨川市郷土資料館)「布袋と大黒天に唐子」 「恵比寿に唐子」1772年
●愛宕神社(南房総市千倉町川合)「大黒天立像」「賓頭盧尊者立像」「天孫降臨神話図」「波と竜」南房総市指定文化財 1773年
大聖院(南房総市千倉町大川)「波と竜・麒麟」南房総市指定文化財 1775年
西福寺(鴨川市竹平)「大黒・福禄寿・毘沙門天」「布袋・寿老人・弁財天・恵比寿」鴨川市指定文化財 1777年
●見性寺(富津市相川)「浪に龍」1778年
金乗院(鴨川市打墨)「向拝の竜」「酒仙の図」鴨川市指定文化財 1779年
●薬王院(鴨川市粟斗)「竜虎の図」 1780年
浅間神社(南房総市千倉町瀬戸)「山鵲」(さんじゃ)1783年
●禅定院(君津市小山野)「双龍」 1784年
鏡忍寺(鴨川市広場)「七福神の図」 1788年
●長福寺(いすみ市下布施)「波に龍」「雲に麒麟」 1789年
●真高寺山門(市原市飯給)「裏北虎」「長尾鳥と松」「大舜象」他 1791年
●光福寺(いすみ市大野)「老松に鶴」 1802年
●飯縄寺(いすみ市岬町和泉)「牛若丸と天狗の図」「浪に飛龍」「鳴き龍」 1797年~
大山寺(鴨川市平塚)「向拝の龍」「雲に麒麟」「牡丹」 1803年
●春日神社(御宿町高山田)「浪に鶴と旭日」 1803年 ※火災により焼失
●覚翁寺(勝浦市出水)「浪に龍」 1805年
●宝聚院(大多喜町横山)「浪に龍」「老松と笹の図」 1811年
福聚院(南房総市市部)「浪に犀」
石堂寺(南房総市石堂)「浪に水鳥」「唐獅子牡丹」「浪に雁」他 1971年
智蔵寺(南房総市山名)「浪に龍」「浪に飛龍」 1808年
徳蔵院(南房総市千倉町平舘)「向拝の龍」「十三仏の泉水」 1808年
●瑞龍院(館山市畑)「浪に龍」「鶴に松」 1808年
●行元寺(いすみ市荻原)「波に漂う宝珠の図」「波に鶴に旭日の図」「松竹梅」
●飯尾寺(長柄町山根)「浪に龍」「鶴に松」 1814年
●称念寺(長南町千田)「龍三態の図」 1823年
●熊野神社神輿(いすみ市岬町)

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