瀧山寺(たきやまでら)
鴨川市太尾の飛竜山瀧山寺は真言宗智山派の寺院です。寺内には3点の鴨川市指定文化財が所蔵されています。
滝山寺概要
【宗派】真言宗智山派
【山号】飛竜山
※鴨川市川代勝福寺末
【本尊】不動明王
【御朱印】なし
【鴨川市指定文化財】
・滝山寺棟札 昭和51年10月19日
・木造薬師如来立像 昭和51年10月19日
・木造釈迦如来立像 昭和51年10月19日
【由緒・沿革】(参考文献:鴨川市史/田原のあゆみ)
創建年代は明らかではありません。寺内には天文九年(1540年)の6枚の棟札(鴨川市指定文化財)が現存し、「安房国長狭郡寺院明細帳」は慶長十三年(1608年)の再興を伝えています。さらに寺内の薬師堂に安置されている釈迦如来像と薬師如来像は、十四世紀前半ころの様式であることから、滝山寺は中世には建立されていたものと考えられます。
天文九年の棟札は、十六世紀の中ごろ、滝山寺周辺を支配していた土豪たちが力を合わせて、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢菩薩(ふけんぼさつ)を造立したときのものです。奉納の大檀那(おおだんな)が鈴木前出羽守(さきのでわのかみ)と子息の内匠助茂次(たくみのすけしげつぐ)、助衆(助成の人)として、滝山飛騨守、伊丹伊勢守、鈴木伯耆(ほうき)守らの土豪が名を連ねています。
宝永三年(1706年)の棟札は、村役人の鈴木三右衛門らが願主となり、本寺の勝福寺住職を導師に迎え「天下太平・国土安全・郷中繁栄」を祈願して薬師堂を建立建立したときのものです。
享保十三年(1728年)の棟札は、領主の旗本京極大膳大夫が大檀那となり、名主和泉平左衛門と組頭鈴木源兵衛が世話人を務め、勝福寺の二十一世依甚(らいじん)が導師となり薬師堂を建て替えたときのものです。
元文二年(1737年)の棟札は、領主の旗本京極四郎左衛門を大檀那として、名主の和泉平左衛門と大工の棟梁高松庄右衛門らが願主となり、滝山寺住職印弁盛が導師となり、十二神将を奉納したときのものです。
宝暦四年(1754年)の棟札は、領主の京極近江守を大檀那として、名主の三郎右衛門らが願主となり「天下太平・風雨順時・五穀成就」を祈願して薬師堂と薬師如来を開帳したときのものです。
天保三年(1832年)の棟札は、領主京極采女(うおめ)を大檀那、名主三郎左衛門と組頭宗兵衛を世話人とした薬師堂開帳のときのものです。
境内案内
本堂
滝山寺本堂には、薬師堂の縁日のにぎわいを描いた宝暦十年(1760年)銘の「諸人参詣の図」「街道殷賑(いんしん)の図」という二枚の絵馬が奉納されていました。絵馬には参詣する人々、街道に屋台を広げる商人や大道芸人などが描かれていましたが、風俗を描いた絵馬は県下でも数が少なく、当時の風俗を知るうえで貴重な資料として鴨川市の文化財に指定されていましたが、平成元年の本堂の火災により焼失してしまいました。
本堂向拝の彫刻
瀧山寺薬師堂
薬師堂は長狭七か所薬師の一つに数えられていました。創建は天保三年(1706年)一月二十九日、享保十三年(1728年)に建て替えの記録が棟札に残されています。
詳細情報
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