西神社/曽呂尋常小学校分教場(水田三喜男出身校)

2019年01月21日

西神社(にしじんじゃ)

 
鴨川市西の県道89号線沿いの『西神社』は旧西野尻村の村社です。境内には鴨川市指定天然記念物の大杉があります。
 
【社格】旧西野尻村(現鴨川市畑)の村社
【祭神】大山祇命(おおやまつみのみこと)山の神
【御朱印】不明
【祭礼】10月10日前の日曜 曽呂地区祭礼
JA曽呂支店付近に屋台・神輿が集結
・宮 東宮神社 屋台
・代 八雲神社 屋台
・二子 石尊神社 屋台
・仲町 奥野神社 屋台
・上 八雲神社 屋台
・東 東神社 屋台
・西 西神社
・畑 熊野神社
【由緒】(参考文献:曽呂のあゆみ)
由緒は全く伝わっていません。昔人々が山の神として、田の稔りを支配する水の神、田の神として奉祀したものと見られています。
 
境内は高い樹木に覆われて昼間でも暗くなっています。
 
西神社境内の画像
 

鳥居

鳥居は神明鳥居。笠木・貫・柱のすべてが円形のもので構成されています。年代は不明。
 
鳥居の画像
 

石灯籠

 
石灯籠に年代は刻まれていませんが、「社寺明細帳」によると明治二三年(1890年)に奉納されたとあります。
 
常夜灯(左)の画像常夜灯(右)の画像

 
境内には多くの石碑が残されています。左の画像の石碑は苔が多く文字が読めません。○○記念と刻まれています。右下の画像の石碑も文字が読めません。
 
境内の石碑1の画像境内の石碑2の画像

 

狛犬

 
狛犬も作成年代は不明。比較的大型のものです。
 
西神社の狛犬(左)の画像西神社の狛犬(右)の画像

 

手水石

 
この辺では見かけない形の石で、面白い形の手水石です。「社寺明細帳」によると奉納は大正九年(1920年)です。
左下の画像は破損した石灯籠です。
 
手水舎と手水石の画像石灯籠の画像

 
こちらの石灯籠も片方しかありません。
 
石灯籠1の画像石灯籠2の画像

 

拝殿

 
拝殿は年数を経ているようですが、創建年代は不明です。拝殿左には大きな杉の木があります。
 
西神社拝殿の画像
 

西神社の大杉

 
西神社の御神木である大きな杉の木は胸高周囲5.73m、樹高25m市内でも大木に類し昭和五十一年(1976年)四月に鴨川市天然記念物に指定されました。
 
西神社の大杉の画像(横から撮影)西神社の大杉の画像(真下から撮影)

 
本殿左には小さな社があります。(左下の写真)
湯殿大神、月山大神、羽黒大神の石碑(右下の写真)
 
本殿左の社の画像湯殿大神、月山大神、羽黒大神の石碑

 
丸型の石碑は奉納の記念でしょうか。奉納した金額が彫られているようです(左下の写真)
こちらも湯殿大神、月山大神、羽黒大神の石碑です(右下の写真)
 
7月になると境内にはヤマユリの大輪が咲きます。
 
境内のヤマユリ画像湯殿大神、月山大神、羽黒大神の石碑

 


 

曽呂尋常小学校分教跡

 
西神社の裏には戦後の日本を代表する政治家『水田三喜男』の出身校である曽呂尋常小学校分教場の跡があります。
また、この分教場から1.3km程の場所には水田三喜男の生家(旧水田家)があり国登録文化財に指定されています。
 
曽呂尋常小学校外観画像(正面)
 

曽呂尋常小学校分教場 記念碑

 
村の中央までは程遠いので、低学年の児童は本校に通うことができず、四年生までは分教場で授業を受けることになっていた。一年から四年までの四十人に満たない児童が一つの教室で一人の先生に教わったのだから、なつかしい想い出は多い。
(水田三喜男自伝『蕗のとう』より)
 
水田三喜男がこの分教場に通ったのは、明治末から大正初めにかけてである。本校(曽呂尋常小学校)までは六キロもあるので、周辺の子どもたちはこの分教場へ通学したのであった。この分教場は、一八七四年(明治七年)、全国的に見てもきわめて早い時期に、この地域で開校した四つの小学校の一つで、一九六七年(昭和四十二年)の廃校まで、九十年の長きにわたって郷土の多くの人々を育んだ。
 
水田三喜男の父信太郎は、一九〇九年(明治四十二年)曽呂村の村長として、三つの小学校(上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校)を曽呂尋常小学校に一本化することに尽力し、県下の各町村に先がけて近代的校舎を建設、人々の信頼を得た。この時、本校は上に、分教場は西に置かれた。
 
曽呂の地が生み、終世この地を愛してやまなかった水田三喜男(1905年~1967年)は、昭和四十二年(1946年)戦後初の総選挙に自由党から立候補して初当選、以来三十年間、連続当選十三回、戦後日本の復興に心血を注いだ。七度にわたる大蔵大臣として、国民生活の安定と日本経済の高度成長のために働く一方、義務教育費の国庫負担、私学助成など、日本の教育の再生、振興に力を尽くした。
 
一九六五年(昭和四十年)、国と社会に有益な人材育成のため、学校法人城西大学を設立、政治家としての責務を果たす傍ら「学問による人間形成」を建学の理念として、大学の初代理事長および学長の任に当たった。1967年(昭和五十一年)、七十一歳の若さで急逝した。
 
この地に生まれ、この分教場で学んで大きく成長した人間水田三喜男の遺徳を偲び、郷土の人々との変わることのない心の交流を祈念して、この碑を建立する。
二〇〇八年(平成二十年)一月
学校法人城西大学理事長
城西国際大学学長 水田宗子
 
曽呂尋常小学校の外観画像(右横)
 
こちらは倉庫か何かでしょうか。8畳ほどの別棟です。
 
曽呂尋常小学校分別室の画像
 
内部は破損が激しく中に入るのは危険です。教室は3つに分かれています。
 
曽呂尋常小学校内部の画像

詳細情報

名称

西神社・曽呂尋常小学校跡

住所

〒299-2856 千葉県鴨川市西744

お問い合わせ先

04-7092-9231

※スマートフォンの方は電話番号をタップで直接電話できますので、営業時間や定休日をご確認下さい。
また掲載されている情報はこの記事を掲載した当時の情報ですので、古い場合がございます。
お問い合わせの際は「『房総タウン』を見た」とお伝えください。

駐車場

あり

アクセス

このページをご覧になった方は
こんなページもご覧になっています