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光厳寺 里見義頼の墓(南房総市文化財)

光厳寺本堂の画像

南房総市富浦町/寺院


光厳寺(こうごんじ)

 
山号・院号:金龍山・大勢院
宗派:曹洞宗(延命寺末)
本尊:釈迦牟尼仏
光厳寺は天正年間(1573年~1592年)に岡本城(国指定史跡)城主の里見義頼が草創した寺といわれ、本堂左側には南房総市指定文化財の里見義頼の墓があります。
寺伝によると南房総市本織の延命寺の六世白峰禅師を招いて開山し里見義頼が草創したとされています。
 
光厳寺山門の画像
 

白山神社

 
慶安4年(1651年)の創建。名匠伊丹喜内の作で精巧な造りです。
 
光厳寺白山神社の画像
 

本堂

 
寛政二年(1790年)火災により焼失、再建後に大正十二年(1923年)の関東大震災で倒壊。現在の本堂は昭和十年(1935年)に建てられたものです。
 
光厳寺大イチョウと画像
 

里見義頼の墓 南房総市指定文化財(昭和51年8月10日)

<境内案内板より>
金龍山光厳寺境内の墓地に、石垣をめぐらした一角があり、その中に戦国大名里見義頼の墓がある。
墓塔は室町時代末期の特徴をよく表し、歴史的にも文化財的にも一級のものである。
義頼は天文十二年(1543年)里見六代義堯の子として生まれ、元亀三年(1572年)兄の七代義弘により岡本城が築かれると、城主となって南総に威をふるった。
後に兄義弘の遺領を継ぎ、里見家の八代目宗主の座についたが、平穏ではなかった。
原因は兄義弘が死に臨み、義頼に安房国を実子梅王丸に上総国をあたえようとしたことにある。
それを不満とする義頼は、義弘の死後梅王丸を捉え剃髪の上、岡本城の東方聖山に幽閉し、武力をもって義弘の遺領すべてを相続した。
天正十五年(1587年)十月二十六日義頼は病のため逝去した。
享年四十五歳、法号は大勢院殿勝岩泰英大居士という。
南房総市教育委員会
 
光厳寺の里見氏墓の全景
 
光厳寺の里見累代墓の画像
 
光厳寺の里見義頼の墓の画像
 

里見義頼公碑

 
大正五年(1916年)5月、里見氏墓域整備事業で建てられた里見義頼公の石碑。苔が多く読み取るには時間がかかります(難しくてあまりわかりません)。
 
光厳寺の里見義頼公碑の画像
 

 


 
【住所】〒299-2416 千葉県南房総市富浦町青木232-1
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【電話】スマホの場合はここから直接電話できます⇒0470-33-3895
 
<金龍山光厳寺アクセスマップ>