吾妻神社(あづまじんじゃ)
富津市西大和田の「吾妻神社」は、古来吉野郷七村(西大和田、絹、上近藤、八田村、中、岩瀬)の鎮守です。
社殿は吉野小学校隣の「おやま」とよばれる丘の上に鎮座し、地元では「おあづまさま」の名で崇拝されています。
吾妻神社概要
【旧社格】村社
【祭神】
弟橘媛尊(おとたちばなひめのみこと)
※日本武尊(やまとたける)の妃
【御利益】
<吾妻神社>
五穀豊穣/家内安全/海上安全/大漁祈願/交通安全
<粟島神社(末社)>
*女性の幸福を御守護くださる神社
安産、子授け/万病平癒/良縁、厄除け/家内安全
<琴平神社(末社)>
*古来より海の神様
安産/五穀豊穣/海上安全/大漁/商売繁盛
【ご朱印】あり(置き御朱印)
【由緒・沿革】(参考:境内の案内板/富津市史 通史編/千葉懸君津郡誌 下巻)
社殿によると日本武尊が東征の際、荒れた海を鎮めるため、走水で妃の弟橘媛尊が海中に自ら身を投じたとされ、弟橘媛尊の櫛が岩瀬の布引きの浜に打ち上げられ、その櫛を馬が咥えて吾妻山にはけ上がったことから当地に社殿を建てて祀ったのが始まりとされています。創建の詳しい年代は不明ですが、日本武尊の東征は西暦110年頃とされているので相当な古社であることは間違いないと思われます。
【祭礼】
以前は9月17日。現在は、敬老の日の前の日曜日。
祭礼は、弟橘媛尊の櫛を馬が咥えて駆け上がったことを再現する神事で、「馬だし」、「オブリ」、「神輿」から構成される。
「馬だし」はオメシと呼ばれる神馬が早朝から神社に駆け上がり、神殿前でお祓いを受けて宮司からオンベ(御幣)を受ける。神馬はオンベを鞍に立てて各地区を巡った後、浜に出て、二人の青年が馬の口を持ち両脇にしがみついて疾走する。そして、櫛が流れ着いたと伝わる地点に着くと背のオンベを降ろし地中に埋納する。
「オブリ」は神前に供えられる魚で、真竹を二本束ねその中程に出世魚(ブリの幼魚)七対を吊るす。これを若集が担ぎあげ拝殿に奉納して大漁を祈願する。
オブリ神事の終わりを告げる鈴の音が神輿渡開始の合図となる。神輿は各旧村地を巡り、地区から地区への引き渡し式が「仁義」の儀礼によって執り行われる。
岩瀬の浜では神輿を担ぎながら海に入る「お浜出」が行われた後、神社への帰還となる。
「吾妻神社の馬だし祭り」は、千葉県指定無形民俗文化財(平成29年3月7日)に指定されています。
・富津市ホームページ吾妻神社の馬だし祭り
・千葉県ホームページ吾妻神社の馬だし祭り
平安時代の治承四年(1180年)石橋山の戦いに敗れた源頼朝が房州に逃れた際、この地に武運長久を祈願し幣帛を祀る。
神仏習合時代(奈良時代~明治元年)までは「吾妻大権現」と号し、近くの吾妻山宝幢寺が別当時(神社を管理する寺)を務めていたが、明治三年(1870年)に神社号に改める。
明治三十九年(1906年)神饌幣帛料供進神社(例祭などの神事に県知事から神饌幣帛料を共進される神社)に指定される。
大正四年(1915年)会計規定適用神社に指定される。
境内案内
境内入口は、富津市絹と君津市郡を結ぶ『千葉県道298号線(絹郡線)』に案内版(下の写真)があり、細い道に入って数十m先の右側です。
参道入口に鳥居が建ち、鳥居左奥が駐車場です。
鳥居の奥は石段が2ヶ所あり、新しい石段の上は一対の狛犬、右側は手水舎。正面に拝殿が鎮座し、拝殿裏と右奥に末社が鎮座しています。
鳥居
笠木・貫・柱がすべて円形で貫が柱を突き抜けていないので神明鳥居です。年代は写真を撮っていないので分かりません。
参道
参道の大半は石段となっています。
階段は平成二十八年九月吉日に再建されたものです。
石段中程の左側には比較的新しい「山櫻」の句碑が建っていて後ろには、ちょうど山桜が咲いています。
吾妻なる遺愛の袖の移り香に
咲くや吉野の山さくら
遠藤皓月
狛犬
天保十二年(1841年)辛丑仲秋建立 人見村石工 大野長蔵とあります。
拝殿(吾妻神社)
石段正面の大きな建物が吾妻神社の拝殿です。向拝には龍の彫刻と木鼻の彫り物があります。
末社
拝殿右奥の末社。左側が「琴平神社」で右側が「粟島神社」です。合祀の由緒などは調査中です。
鞘堂(さやどう)
拝殿裏側の鞘堂。鞘堂とは文化財などを保護する建物のことです。
詳細情報
名称
住所
定休日
駐車場
アクセス
・館山自動車道路「富津中央IC」より約6.2km 車で約12分