三柱神社(みはしらじんじゃ)
富津市竹岡の「三柱神社」は、安房大神(天太玉命=あめのふとだまのみこと)、天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)、下立松原神(天日鷲命=あめのひわしのみこと)を祀る神社です。
(参考文献:富津市史/房総の古社/千葉縣安房郡誌)
【旧社格】村社
【祭神】
・天太玉命(あめのふとだまのみこと)
・天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)
・天日鷲命(あめのひわしのみこと)
「古語拾遺」によると「天太玉命」は「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」の子であるとされ、「天太玉命」の后が「天比理刀咩命」です。
「天太玉命」の孫である「天富命(あめのとみのみこと)」は、忌部氏を率いて安房の布良の駒ケ崎(現在の布良埼神社付近に上陸し、「天太玉命」安房神社に、「天比理刀咩命」を洲崎神社に祀り、粟や麻などを植え安房地方を開拓したといいます。
「天日鷲命」は忌部五部の神(天日鷲命、手置帆負命(たおきほおいのみこと)、狭彦知命(ひこさしりのみこと)、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)、天目一筒命(あまのまひとつのみこと))の一人です。
【祭礼】7月第2土曜、日曜
【御朱印】不明
【文化財】
■三柱神社本殿
千葉県有形文化財(建造物) 昭和48年3月2日
千葉県ホームページ三柱神社本殿
■木やり獅子舞
富津市無形民俗文化財 平成26年2月20日
千葉日報ホームページ「木やり獅子舞」
■会津藩士水泳の額
富津市有形文化財(絵画)
富津市ホームページ「会津藩士水泳の額」
【由緒・沿革】(参考:境内案内板、千葉県ホームページ)
創建は古く、養老二年(718年)と伝わり、三柱大神、三所大明神とも呼ばれています。
境内案内
参道入口に一対の常夜灯があり、後ろに一の鳥居、仮宮があり、石段の途中に二の鳥居と手水舎があります。石段上の境内には狛犬、拝殿、本殿が鎮座し左側に小さな社、右側には石宮が鎮座しています。
常夜灯
参道入口にあります。富津市内でみられるものとしては大型のものです。年代は読み取れません。
仮宮
2022年2月現在、本殿は再建中で仮宮が建てられています。
二の鳥居
石段途中にある二の鳥居。年代は不明、形状は両部鳥居。
梛(なぎ)の木
学名はポトカルプスナギ。千葉県の木はですが、梛の木も同じくマキ科マキ属です。神社などで多く見られますが、野生の自生株は大変少なく珍しいとされています。
梛の木の面白いのは、葉の形です。マキ科の木は針葉樹に分類され、槙の木の葉も細長い形をしていますが、梛の葉は幅が広く、広葉樹の様にみえますが、縦に葉脈が走っている針葉樹なのです。
20mを越える大木となり、木の寿命も長く、古来より霊木、御神木として大切にされてきました。濃緑の葉は3~4cmの幅広で縦方向に裂けます。果実は5月末頃に丸い形で付きはじめ秋には茶色の玉状の果実が落ちます。槙と同じ科、属ですが葉の形、実、幹すべて異なります。
槙の木と実の写真
狛犬
境内手前の狛犬。文政三年(1820)十二月吉日奉納。
忠魂碑
手水舎
手水石は享保九年(1724)3月吉日奉納
拝殿
向拝の龍の彫刻
初代波の伊八、江戸後期の作品とされています。裏に彫工師の名前が彫ってありますが、私には読み取れません。
本殿(千葉県指定文化財)
(境内の案内板より)
現在の社殿は、三間社流造で、屋根は柿葺(こけらぶき)とし、石造亀原(かめばら)の基壇である。間取りは身舎内が一間で、正面三カ所に板扉を設ける。周囲は板壁で、正面三カ所に板扉を設ける。側面の縁の突き当たりに脇陣をたてる。向拝には几帳面柱をたて、向拝中央には唐獅子、左右に鹿の本蟇股(かえるまた)を付ける。
身舎軸部は丸柱とし、正面に鶴仙人、椿、ひよどり、布袋、唐獅子、側面には鳳凰および孔雀の本蟇股を付ける。近世初期の様式を伝え、寛文十年(1670年)といわれる建築年代とも近い。
昭和五十九年一月一日
千葉県教育委員会
富津市教育委員会
本殿は、平成25年10月の台風26号の土砂崩れにより被災して2022年現在修復中です。
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