岩谷観音堂の岩穴群

2021年11月29日

岩谷観音堂(いわやかんのんどう)

 
富津市数馬の「岩谷観音堂」は鎌倉時代の遺跡である「やぐら」点在するお寺です。本尊は十一面観世音菩薩、正式名は「大悲山岩谷堂清巌寺(だいひざんいわやどうせいがんじ)」といい天羽作観音霊場の第三十三番札所に指定されています。(入口の案内板より抜粋)
 

ご詠歌

両方のむくめの世界の岩谷堂
まいる心は清巌寺
 
今朝までは親とたのしみおいづるを
ぬいで収めるきよいわの寺
 
観音堂はJR「上総湊駅」から1.5km徒歩約20分。千葉県道93号線沿いです。駐車場は無料です。
岩谷観音堂の駐車場
 
この案内板の奥の石段を上ると観音堂とやぐら群があります。ゆっくり歩いても15分程度全部拝観できます。
岩谷観音堂入口
 
ここから数メートル先に岩穴と観音堂があります。
石段途中
 

大悲山・岩谷観音堂やぐら群(洞窟)

 
※境内案内板より
大悲山岩谷堂清巌寺(通称 岩谷観音堂)は奈良時代の高僧行基による一夜の作と言い伝えられています。
洞窟群は第一窟から第十四窟まであり、第一窟は観音堂奥にあり、壁奥には阿弥陀如来坐像と観音菩薩・勢至菩薩が線刻され、両側壁には仏像三十体が刻まれており、縄文時代の巨大な石棒が祀られています。
第二窟は観音堂(第一窟)をコ字形に囲む回廊窟で、両入口には仁王像が彫りだされ、それに続いて両壁面に多数の仏像群が浮彫されています。
第三窟は第二窟の右上、第四窟は第三窟の下、第五窟は東端の高い所、第六窟は観音堂左手の平場中央に、この他数基の窟があり仏像、五輪塔、観音像、仁王像などが彫りこまれています。
これらを一巡すれば全国の霊場を巡礼したのと同等のご利益があるといわれています。
 
また、天羽観音霊場三十三番札所となっています。観音堂の御開帳は六月(丑年の本開帳)及び十日参り(毎年八月十日)に行いますので、その際に第一窟が拝観できます。
このほど地元民の奉仕活動により、観音堂の大改修(屋根、外壁、内装、扁額)並びに洞窟群の整備を行いました。
平成二十三年十二月二十一日落慶
富津市数馬区
 

やぐらとは

 
やぐらは鎌倉時代中期から室町時代前期(1300年代~1400年代頃)にかけて作られた横穴式の墓または供養塔で、内部には五輪塔や宝篋印塔などが置かれているものが多くあります。
やぐらは鎌倉地方に多く見られますが、安房地方にも実に多くのやぐらが点在しています。
 
岩谷観音堂のやぐらは、古墳時代(3世紀前半~7世紀頃)に作られた横穴を利用し、鎌倉時代に五輪塔などが彫られたものと考えられていますが、当時の文献などは残されていないため詳しいことは分からないようです。
 


 

観音堂手前のやぐら群

 
観音堂手前にあるやぐらは手すりが付いていて内部へ入ることができます。
観音堂手前のやぐら
 
入口は賽銭箱の前です。
賽銭箱
 
手前が不動明王。奥の壁にも仏像が彫られています。内部は砂岩でできていて風化が進んでいます。壁は脆いので手を触れないでください。
やぐら内部の不動像
 
こちらの壁の仏像も風化がすすんでいます。
やぐら内部から外側の景観
 
右側が江戸時代の庚申塔。左が大黒天。
庚申塔と大黒像
 
ここは相当奥行きがあります。何故かテーブルと椅子が置いてありますが、埃を被っていて使うことはできません。
やぐら内のテーブルと椅子
 
内部は立体感があります。
岩に彫られた仏像内部の階段

 

観音堂

 
観音堂左側にも洞窟があり、こちらも中へ入ることができます。
観音堂
 
内部に五輪塔が彫られています。
観音堂奥のやぐら
 
階段には手すりが付いています。
やぐら内部の階段
 
仏像
壁に彫られた仏像
 

修築碑

 
明治二十一年九月に建てられたものです。文字ははっきりと読み取れませんが、意味はまったく解りません。
下のように刻まれています。
 
石堦石洞競奇珍
天作旧兼人作新
幾許金仙観水月
湊頭数尾為呈春

明治二十一年九月
小川隆政識
武本雄高謹書

改築碑

詳細情報

名称

岩谷観音堂

住所

〒299-1606 千葉県富津市数馬268-4

営業時間

特になし

駐車場

あり(無料)

アクセス

JR内房線「上総湊駅」より約1.5km 徒歩約19分 車で約4分
館山自動車道「富津中央IC」より約5.1km 車で約8分
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