

金銅寺(こんどうじ)
山号:奇雲山
宗派:真言宗智山派
開創:和銅二年(709年)行基菩薩
奇雲山金銅寺は安房国札三十四観音霊場の第十一番札所です。
ご詠歌
はるばるとのぼりてみれば金銅寺 はぎの柱も五六千本
かつては萩を束ねて柱とし、茅を覆って屋根としていたそうです。
元は小萩坂西之野に十王堂・地蔵堂・山王明神と共に一つの境内にありました。その後草原に埋もれましたが弘安三年(1280年)奇雲の祥瑞と共に金銅の観音尊像が旧堂跡に出現、文安五年(1448年里見義実の頃)現在地に再建されました。かつては無量寺持、村持を経て現在光明寺持となりました。
現本尊は昭和十三年頃盗難に遭い、埼玉県にて発見され取戻しましたが、すでに塗り替えられ金ぴかになっていました。
梵鐘 鋸南町指定文化財(昭和58年5月23日)
<境内案内板より抜粋>
江戸時代の寛政元年(1789年)十月当国大山郷(現鴨川市)の冶工藤原忠直作。銘文によると、従来の宝暦銘小鐘の代りに村並びに十方の壇信を集結して新鋳され、以来時鐘として、また金銅寺の宝器として敬愛され、その声は実に「西海の波に透徹富山の月を吼破し・・・一村無明長夜の憂を覚ます」美しさであったと言われています。第二次世界大戦に供出されましたが、のち山梨県市川大門町日蓮宗長生寺の鐘となっていたことがわかり関係者の協力により昭和58年2月、四十年ぶりに里帰りしました。
縦帯は四本、前後に蓮華紋撞座と平行し、乳は五段五列帯各二個で108煩悩を表わす。駒の爪の肉厚が目立つが、どっしりとした地方大工らしい素朴な力強さが感じられる。
昭和58年現在、安房近傍で記録の知られていた江戸時代鐘は60余、内安房工人作では、他に朝夷郡石神村(現南房総市丸山)鋳工鈴木伝左衛門が見えるが、今伝わるのは当鐘のみで、当時の安房地方鋳鐘技術水準を示す唯一のものとなった。
境内周辺はツノナス畑となっています。この植物は果実の形からフォックスフェイス、キツネナス、カナリアナスなどと呼ばれ観賞用として栽培されています。
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