サイドメニューアイコン
トップスライドアイコン

館山・南房総ポータルサイト 房総タウン ページロゴ

巴橋【国登録文化財の石橋】

巴橋の画像

巴橋(ともえばし)

 
館山市犬石の巴川にかかる『巴橋』は国登録有形文化財(建造物)に指定されている石積橋です。
国登録有形文化財の案内板
 
巴橋周辺は藪と断崖絶壁に囲まれていて、上から見ても横から見ても石積の橋は見ることができません。結局1時間くらい右往左往しましたが、川の中に入って歩いて行かないと見ることができません。
一番上の写真は看板の写真を補正したものです。
巴橋の上部
 
上流は小さな滝が見えます。
巴橋の下(上流側)
 
橋の真下です。
巴橋の下(下流側)
 

橋手前の案内板

【国登録】原簿記載:平成19年10月2日 官報告示:平成19年10月22日
【登録番号】12-0083号
【所在地】館山市犬石字巴9-1先地
【年代】明治39年(1906年)
【登録基準】国土の歴史的景観に寄与しているもの
【構造】石造アーチ形状路橋(1径間)、材質:砂岩
【規模】橋長11.0m、幅員3.0m 径間アスファルト路面
 
巴橋は石造の橋で、大神宮の親柱には、「明治三十九年」と彫られています。1906年に建設されたこのアーチ橋は岩盤上につくられ、長さ11m、横3mの大きさです。長方形に整えられた比較的大きな地元産の凝灰岩(ぎょうかいがん)質の砂岩を、目が横に通るように積み上げる布積みという工法で築かれ、橋の両側にある石垣に接続しています。
 
同じようなアーチ形で著名なのが、南房総白浜町の長尾橋です。明治21年(1888年)に架けられ、県内では唯一3つのアーチをもつ石橋として、千葉県有形文化財(建造物)に指定され「めがね橋」の愛称で親しまれています。
 
巴橋にはアーチは一つしかありませんが、地元の人たちは、眼鏡の橋と呼んでいたとされます。残念ながら、図面を含めて資料は残っていませんが、地元犬石の島田岩吉が設計して築いた橋だと伝えられています。長尾橋も地元の石工が築いたとされていますので、明治時代になって次々と導入された西洋の技術が、安房地方の職人の間にも普及してきていたことがよくわかります。
 
大正12年(1923年)の関東大震災で、巴川を逆流した津波は、すごい勢いで巴橋を飲み込み、上流へと流れていったとされていますが、石積みのこの橋は、津波の勢いにも負けませんでした。また太平洋戦争中、近くの佐野にあった旧館山海軍砲術学校の戦車がこの橋を渡っても重さに耐えたとされています。
 
関東に残る数少ない明治期建設の石造アーチ橋であることが高く評価されましたが、巴橋は、20世紀の館山の歴史を物語る証人でもあります。
 
平成20年7月
館山市教育委員会
 


 

巴川(ともえがわ)

 
巴川は館山市神余の東虹園(とうこうえん)付近を源流とし館山市の相浜付近へ注ぐ、全長8.5kmほどの2級河川です。
今日は少し時間があったので、源流部から河口まで下ってみました。
 
東虹園には最近「神余憩いの花広場」が整備され、公園内には季節ごとの花が植えられています。
神余憩いの花広場
 
公園の下には大正池と明治池があり、ここが巴川の水源です。
明治池は釣り禁止の看板が立っていますが、大正池は釣り禁止の看板はありません。誰が放流したのかは解りませんが、大正池にはブラックバスがたくさん棲息しています。
巴川源流の大正池
 
源流部から2kmほど下流には館山市文化財に指定されている神余の弘法井戸(塩井戸)があります。
弘法井戸の上流30m付近には、巴橋と同じ形状をした「塩井戸橋」があります。
神余の弘法井戸上流の塩井戸橋
 
塩井戸の少し先で右側に入り、初詣で有名な小塚大師の前へ流れていきます。
 
安房神社の大神宮橋。
大神宮橋
 
大神宮橋下の巴川。
大神宮橋下の巴川
 
巴川の河口。この河口付近はシーバスやマゴチの好ポイントとなって、バカ長があると便利です。
巴川河口
 

巴橋アクセスマップ

 
橋は巴川河口から600mほど上流にありますが、場所を説明するのが厄介なのです。国道410号線を館山市街から大神宮方面へ走り、犬石の地魚料理店あさみの手前を右折し最初の路地を左折します。そこから更に300mほど進み左折すると巴橋です。橋付近に駐車場は無いので邪魔にならない場所に路上駐車するしかありません。
詳しくは下の地図をご覧ください。

房総タウンTopへ
このページをご覧になった方は
こんなページもご覧になっています