小塚大師(コヅカタイシ)|遍智院(ヘンチイン)
館山市大神宮の「小塚大使」は、大神宮小塚字にあることから小塚大師の名前で親しまれています。
正式名は曼陀羅山金胎寺遍智院(まんだらさん こんたいじ へんちいん)ですが、地元では「遍智院」というより「小塚大使」という呼び方が一般的で
初詣で人気のあるお寺です。
関東の厄除け三大師(小塚大師・西新井大師・川崎大師)の一つで、初詣、初大師(1月21日)や 春季大祭(3月21日)には露天が多数出店して多くの参拝客で賑わいます。
【山号】曼陀羅山
【宗派】真言宗智山派(智積院末)
【本尊】弘法大師
【縁起】(参考文献:館山市史)
『曼陀羅山遍智院縁起』によると、弘仁六年(815年)に弘法大師の創建した密教の道場である。大師が東国行化の途中、景勝の地を探してこの地に来た。境域が奥深く静寂であるため密教の道場としてふさわしい土地であるため一字の草庵を結びしばらく滞在した。
ある日大師が山野をさまよい歩いていると布良崎の太玉命を偶然に出会い、太玉命は「自分のため、衆生ののために、どうか災難除けの勝業を営むべし」「大師の住む庵の後峯に霊木があるのでこれで師の形像を刻み祈祷したなら、あらゆる災難や災いは、その像が身代わりとなって、師の心身は安らかである」「なお、あらゆる衆生の願いをこの像にこめて、永くこの地に残し厄難を除かしめられよ」と言い残しすとたちまち姿が見えなくなった。
大師は、指示を受けた峯に登ってみると森の中に特に秀でた木があって、仰ぎ見るをきらきらと光を放ちすばらしい香りがした。そこで、この木を伐って二躰を刻み開眼供養した。その一躰は布良崎の浜に流したが、数年経って武州橘樹郡(現在の神奈川県川崎市)の漁師の網に掛かったと言われ、これが真言宗智山派の大本山である平間寺に安置する川崎大師で、現在も人々の信仰を集めている。もう一躰は神託によって当山(遍智院)に安置された。
この時、遠近各地から武士や庶民が集まり、大師の徳に帰依し浄財を寄付し間もなく殿堂が完成したという。その時、金泥をもって金胎の法曼荼羅(ほうまんだら)二幅と、弥陀六字の大号名を親写さされ、この際に井中から黄金が湧き出た。
この井戸は現在本堂の裏手にあり閼伽井(あかい)で、今も井底の泥に光があると伝わります。この時に親写した大号名は、文安年間(1444年~1448年)の兵乱に際に何者かに奪い去られ、現在は鎌倉の光明寺(浄土宗の大本山)の寺宝となっています。その名号の裏に「於安房佐野原沙門空海書焉。曼荼羅山金胎寺」と書かれてあり、弘法大師が、佐野の砂原で下書きしたので、世に「佐野の名号」と称すと「鎌倉誌」に記載してあると伝えられています。もちろん光明寺にそのような名号は存在していません。
初大祭(3月21日)の様子
本堂
御本尊弘法大師像が祀られています。延年4年(1747年)に建立されました。
手水石
文政10年(1827年)に130人以上が協力して奉納されました。
講堂
波切不動
不動明王が祀られています。
稲荷社/六地蔵
四国八十八ヶ所めぐり
四国八十八か所を模した霊場です。作りが古く急斜面のため現在は許可なく参拝できません。
佐野吉佐衛門の記念碑
佐野吉佐衛門の農業改良に対する功績を記念した石碑です。
Googleストリートビュー
祈願
様々な祈願ができるのでパワースポットとして知られています。
厄除祈願 家内安全 交通安全 身体健全 無病息災 当病平癒 商売繁昌
社内安全 社運隆昌 事業繁栄 工事安全 心身健全 開運満足 心願成就
海上安全 大漁満足 合格祈願 入学成就 進学成就 学業成就 就職成就
良縁成就 安産満足 旅行安全 必勝祈願 災難除 方位除 御礼護摩 除災招福
小塚大師の年中行事
1月1日 元朝護摩修行
1月21日 初大師/大護摩修行/大般若転読会
2月3日 節分会・星祭
3月21日 春季大祭/二箇法要厳修
4月8日 花まつり
7月21日 総供養法要
8月13日~15日 盂蘭盆会
9月26日 施餓鬼会
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