
諏訪神社(すわじんじゃ)
富津市小志駒(こじこま)の「諏訪神社」は、氷室山の麓に鎮座する小さな神社ですが、かつては峯上郷の総鎮守として郷社に指定されていた格式の高い神社です。
概要
(参考文献:千葉縣君津郡誌 下巻)
【旧社格】
峯上郷(志駒下郷、志駒中郷、志駒上郷、奥原、下沢、奥畑、大川崎、大田和など)の郷社。
【祭神】
建御名方命(タケミナカタノミコト)
【祭礼】
君津郡誌によると、かつては毎年7月27日に捧鞨鼓舞(ほうかっこまい)などが執り行われていたが8月31日に変更され、歴史ある祭事はほとんど廃止されて、競馬等のみになった。
2026年現在は、祭礼が行われているかどうかは確認できません。
【御朱印】
なし(神主非常駐)
【文化財】
・智明山縁起(ちみょうざんえんぎ)
諏訪神社の別当寺であった智明山普賢寺の縁起を書いた文書。
昭和48年富津市指定文化財
由緒・沿革
・創建は南北朝時代の嘉慶二年(1388年)。
・平安時代末期の治承四年(1180年)源頼朝が、当社の別当寺(神社を管理する寺)である普賢寺に戦勝祈願に訪れ、当地の湧き水を「源氏水」と命名し若干の神田を寄進。
・室町時代の永享二年(1430年)太夫五郎が薬師三尊の掛仏を寄進し神殿に安置し明治維新に普賢寺に移す。(大貫峯上師子馬薬師堂敬白法眼旦那大夫五良作者道観永享二年)
・室町時代の後期~戦国時代の天文八年(1539年)真里谷入道全芳が鰐口を寄進。
・翌天文九年、里見義弘(当時十一歳)が大旦那となり同年七月に社殿造営。
・永禄十年(1567年)里見義弘と北条氏の三船山の戦いの際に当社に兵を集めて戦勝祈願。(里見義弘が勝利し北条軍は相模国に撤退)
・江戸時代末期の天保八年(1837年)本殿および拝殿を修繕。
・萬延元年(1860年)本社を再建。
かつては「諏訪大明神」と呼ばれ峯上郷の総鎮守であり、智明山普賢寺が別当寺を務めていた。明治維新後の神仏分離にて「諏訪神社」と改称して別当寺を廃止。
・明治六年(1873年)二月、郷社に列せられる。
・明治三十九年(1906年)神饌幣帛料供進神社(神事の際、地方公共団体から幣帛料を供進される主要神社)に指定される。
・明治四十一年(1908年)会計規定適用神社(神饌幣帛供進料を受け取るなどの理由で、会計法規の適用対象にされた神社)に指定される。
境内案内
社殿はもみじロードと峰上城址の中間の閑静な場所に鎮座しています。車は鳥居右側の駐車場に停められます。
参道入口に郷社の石碑と鳥居があり、鳥居の先は参道と神輿蔵、その先に石段があり石段の上に本殿が鎮座しています。
本殿の周囲は銀杏、スダジイなどの巨木が生い茂り荘厳な雰囲気です。
石碑
「郷社諏訪神社」の石碑、吉田榮齊書。

鳥居
鳥居の形状は、一番上の笠木の先端が反り上がった明神鳥居です。
平成十二年十月吉日 小志駒・岩本氏子とあります。

神輿蔵
石段手前の神輿蔵。随神門(ずいしんもん)のようにも見えますが、守護神は安置されておらず、神輿が納められています。
神輿は相当古いもので、何年も使われていないようです。
石段の上に社殿が見えてきました。

手水舎
石段手前の手水舎。年代は読み取れません。

狛犬
江戸時代後期の文政七年(1824年) 岩本村とあります。
※岩本村は江戸時代初期~明治八年に存在した村。現在の富津市岩本周辺。
社殿

拝殿と本殿は一体となっています。

石碑
左下の写真は諏訪神社碑。建立は明治22年(1889年)、篆額は榎本武揚。神社の創建、源頼朝が当社で戦勝祈願をしたことが刻まれています。
右下の写真は毛利元継の公徳碑と石宮。公徳碑は昭和6年建立、石宮は昭和九年九月とあります。
拝殿周囲には銀杏、スダジイなどの巨木が生い茂っています。拝殿裏山は峰上城址です。






