

橘樹神社(たちばなじんじゃ)
茂原市本納(ほんのう)の「橘樹神社」は、上総国に五座(注1参照)ある「式内社」(平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」に記載されている神社)のうちの1社で、千葉県内でも指折りの古社です。
日本武尊(やまとたける)の妃である弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祭神として祀ってあるため、地域の人々から「タチバナサマ」と呼ばれ親しまれています。
注1 上総国の式内社五座とは当社の他に以下の4座です
・玉前神社(たまさきじんじゃ)
長生郡一宮町
・島穴神社(しまあなじんじゃ)
市原市島野
・姉崎神社(あねさきじんじゃ)
市原市姉崎
・飫富神社(おほじんじゃ)現在は飽富神社(あさとみじんじゃ)
袖ケ浦市飯富
橘樹神社はJR外房線「本納駅」徒歩約10分。駐車場は一の鳥居の左側にあります。(下の写真の矢印から入る)
神社詳細
参考文献
・房総の古社
・式内社調査報告 第十一巻 東海道6
・長生郡郷土誌
【社名について】
延喜式神明帳には橘神と書かれてあります。「日本三代実録」には、「元慶元年(877年)、上総國従五位上勲五等橘樹神正五位下」とあり両方ともタチバナと読ませてあり、どちらが本来の書き方であるかは不明です。
【社格】
中世以降上総國二の宮、明治六年(1873年)懸社に列せられる。
【祭神】
主祭神:弟橘媛(おとたちばなひめ)
相殿神:忍山宿禰(おしやまのすくね)
弟橘媛は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃神、忍山宿禰は、弟橘媛の父(日本書記)。
【祭礼】
宝暦五年(1755年)の社伝に「上総國長柄郡二之宮荘本納郷正一位橘橘大明神の神事」として八月十三日の祭禮には二之宮荘(本納、法目、高田、渋谷、萓場、小萓場、腰當、北塚、弓渡、吉田、粟生野、御蔵、芝)の75の社の神輿が集結した。その後、戦国時代になり百余年の間、神事が中断され再開時に段々と神輿の数が減少した。
2024年現在、スポーツの日(10月の第2月曜)の前日に3基の花山車が本納地区を廻ります。(3年に一度)
【御朱印】
社務所に御朱印、各種お守りあり。
9:00~15:00
【由緒・沿革】
社殿によると景行天皇四十年、日本武尊は東征(西暦130年頃)に際し、千葉沖で暴風に見舞われた。この際、妃である「弟橘媛」と五人の姫は海中に身を投じて海を鎮めてこの地に無事上陸したといいます。
日本武尊は、この地に上陸し賊を平らげた後「弟橘媛」の遺骸または櫛を葬って墳墓を築き、自ら橘を植え弔祭の禮を上げたのが始まりと伝わります。
この話は富津市大和田の吾妻神社を紹介した際にも書いた記憶があります。詳しく調べたところ、同様の話は木更津市吾妻の吾妻神社、同市三黒の吾妻神社をはじめ千葉県各所や神奈川県二宮町の吾妻神社にも遺骸や櫛などが漂着して葬ったという伝説が残されていて、どれが事実なのか判明していません。
また、同じ社名の神社が神奈川県川崎市高津区にあり、こちらも弟橘媛の御衣や御冠などを祀ってあるとされ、社名、祭神、由緒が一致しています。
川崎市高津区の公式サイト橘樹神社
<橘樹神社由緒>
・元慶元年(877年)五月十七日、従五位上勲五等橘神正五位下
・元慶八年(885年)七月十五日、正五位下勲五等橘神正五位上
・天正十九年(1591年)十一月、徳川家康神田六石を寄進。
・寛政十一年(1779年)十一月、鍬初の際土中より十一の甕壺を発掘。
・寛政十二年(1800年)十一月、拝殿を大改築し本殿を増築。
境内案内
境内は3569坪と広大で橘の他、銀杏、欅、杉などの古木が茂り古社の面影を残しています。
境内の入口に3基の鳥居が建ち、参道左側は手水舎、吾妻池、末社。右側は社務所があり、正面に拝殿と本殿が鎮座します。
拝殿裏側は大きな古墳があります。
鳥居
境内入口から4基の鳥居が並びます。一の鳥居は笠木、貫、柱がすべて円形の神明鳥居。他3基は明神鳥居です。
最も古いものは、江戸時代中期の享保年間(1716年~1736年)に建立されたものです。
お焚き上げ神事




末社
吾妻池前の末社。左から稲荷神社(保食命)、子安神社(木花咲弥姫命)、富戸神社(天手力雄命)。








橘の木
社名にある通り所々に橘の木が植えられています。今から100年以上前は境内に大木が茂って花実を結び病人に頒かち与えていたといいます。
現在は社務所と拝殿前に数本あり柚子に似た実がなっています。
橘は日本固有の柑橘類。常に葉が茂っていることから、古来から縁起の良い木といわれています。実は酸味が強く生食には向かずマーマレードなどにされるようです。
拝殿
応仁(1467年~1477年)・天正(1573年~1592年)に兵火にかかり焼失、寛政十二年(1800年)に修造。この際に本殿を増設しました。
本殿
拝殿裏の本殿は寛政十二年に造営したものです。




古墳
この古墳は高さ10m、周囲170mの大型のもので橘媛の陵墓とされています。元来は前方後円墳であったものを拝殿造営の前年に古墳の裾を四日間にわたり削ったところ、土中から11の甕壺が掘り出されたといいます。このとき大甕は尊骨が納められていると思い、人々は仰天し中を確認できず、そのまま封印して本殿に納めた伝わります。
なお、古墳は現在聖域として立ち入ることはできません。
境内にはネコが5匹ほど居ついています。首輪があるので神社で飼っているものと思われます。この中でも黒猫は特に人懐こいです。




詳細情報
名称
住所
お問い合わせ先
※スマートフォンの方は電話番号をタップで直接電話できますので、営業時間や定休日をご確認下さい。
また掲載されている情報はこの記事を掲載した当時の情報ですので、古い場合がございます。
お問い合わせの際は「『房総タウン』を見た」とお伝えください。
営業時間
駐車場
60台
アクセス
車 :首都圏中央連絡自動車道(圏央道)「茂原北IC」より約4.2km 車で約8分