白浜の屏風岩(しらはまのびょうぶいわ)
南房総市白浜町の根本海岸には千葉県の天然記念物に指定されている白浜の屏風岩があります。
実は上の写真は白浜の屏風岩を撮影したと思っていたのですが、何の変哲も無い岩で、何でこれが千葉県の天然記念物に指定されているのか釈然としないまま家に帰って調べてみると、この岩が白浜の屏風岩ではありませんでした。白浜の屏風岩の案内があったので、この岩を何枚も撮影したのですが・・・実際の屏風岩は一枚も撮影できませんでした。
本当の屏風岩は波の浸食により屏風のように切り立った岩が500m以上沖まで連なっている奇景だそうで、今度再撮影をしようと思います。
白浜町には千葉県天然記念物に指定されている場所が4カ所もあり、今日は全部撮影しようと思って白浜に来てみたのですが、場所が分からずに3カ所しか撮影できませんでした。ちなみにその4カ所とは以下の通りです。
白浜の屏風岩(千葉県ホームページ)
白浜の鍾乳洞(千葉県ホームページ)
白浜の鍾乳洞(房総タウン)
白浜のシロウリガイ化石露頭(千葉県ホームページ)
白浜のシロウリガイ化石露頭(房総タウン)
南房総の地震隆起段丘(千葉県ホームページ)
案内がある岩から白浜フラワーパーク方面の海岸です。屏風岩はこの先にあるようです。
御神根島(おがみねしま)
こちらは釣りや海水浴、キャンプ場として有名な御神根島です。
己が罪の石碑
屏風岩の入口のは「己が罪」の石碑があります。
己が罪とは、明治の文豪「菊池 幽芳(きくち ゆうほう)」(明治3年~昭和22年)の主人公箕輪環の薄幸の人生を描く小説で、数回映画化されています。ウィキペディアによると映画は神奈川県の江ノ島で撮影されたとありますが、ここに碑があるということは白浜でも撮影されたのかも知れません。
根本海岸は貝殻が多くビーチコーミング(海岸などに打ち上げられた漂流物を収集したり観察したりする行為)の名所です。
運が良ければ、イルカの耳石である「布袋石」や琥珀を拾うことができるかも知れません。
若山牧水の句碑
屏風岩の入口には若山牧水(1885~1928)の歌碑があり3つの句が刻まれています。
1.白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
2.山を見よ 山に日は照る 海を見よ 海に日は照る いざ唇を君
3.大島の 山のけむりの いつもいつも たえずさびしさ わが心かな
私の愛読書である「文人暴食・嵐山光三郎」(注1)によると、
牧水は「酒と旅の歌人」として知られ、旅に出てはしみじみと酒を飲み歌を詠み、原稿料でまた旅に出る生活をして孤高の歌人として人気を得ていた。歌集「路上」を出版したころは死にたくて寂しくて心が荒れており、このころ房総の根本海岸に小枝子(さえこ)という女性と恋愛旅行をし、破綻していた。「路上」には「自殺しようとして死に難し」だの「みさおなき女に涙ぐむ」だの「獣あり混沌として黄色に濁る」だの、やけのやんぱちの句が収録されている。牧水のアルコール中毒は無残なもので、十メートル近づいても腐ったゴミ箱のような強烈な臭いがした。とあります。
注1 文人悪食/文人暴食 嵐山光三郎
この本は明治~昭和初期の文人の奇人変人ぶりを書いた本で、知人から紹介されて以来、何回も読み返すほど面白い本です。
以下に特に面白かったものを簡単に紹介します。
太宰治
「走れメロス」は美しい友情を書いた小説ですが、実際にヒントとなった熱海事件はハチャメチャなものです。
太宰治が熱海の旅館で金を使い果たしてしまい、内妻の初代に連絡し、初代は自分の着物を売り70円(当時はかなりの大金)の金を差し出し、友人の壇一雄に届けてもらった。壇一雄が熱海に着くと太宰は壇一雄と小料理屋の主人を高級天ぷら店へ連れ出し、太宰の講釈聞きながら上等の天ぷらを食べ終わり、勘定を聞くと28円70銭というべらぼうな金額だった。このときの太宰の様子は「血の気がうせていくようだった」と言う。それから三日間飲んで遊女と遊び、届けた金も使い果たしでしまい、太宰が「菊池寛の所に行って金を借りてくる」と言い出し、壇一雄を人質にして出かけて行った。ところが、太宰は10日たっても戻って来ない。業を煮やした主人が見張り役となって壇一雄とともに太宰を探しに行った。荻窪の井伏鱒二の家に行くと太宰は井伏鱒二と将棋を指していた。これを見た壇一雄が激怒して大声をあげると、太宰は狼狽しつつも、低い声で「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と言ったという。結局この時の借金は300円ほどになり、100円の代金は佐藤春夫が払い、一部を井伏鱒二が立替え、残りは初代が着物を質に入れまかなったといいます。これはまさに「人間失格」です。
泉鏡花
鏡花は極度のばい菌恐怖症で食べることが恐ろしく食べ物への脅迫観念から逃れられない性格だったと言いその奇行ぶり凄いものだったようです。例を挙げると、
食べ物は完全に沸点まで達しないと決して口にしない。「シャコ、タコ、エビはいったい虫ですか魚ですか」と言い特に嫌った。茶はぐらぐらと煮て殺菌して塩を入れて飲んだ。畳でお辞儀をする時は手の甲を畳の面に向け畳に手を付けずに頭を下げた。文字には霊が宿ると信じ、原稿で訂正した文字は、文字霊を抹殺するために墨で黒々と塗りつぶした。雷を嫌い天井には雷よけのおまじないのとうもろこしがぶら下がっていた。蛙が大嫌いで雨蛙が鏡花の手に小便をかけた時驚き方は尋常ではなく、「あっ」と叫び顔色を変えて何度も手を洗った。酔っ払ってタコをワサビ醤油でペロペロと食べてしまい、同席していた画家の小村雪岱に「昨夜はどうなすったんですか、タコを食べましたよ」と言われ、顔面蒼白になり腹が痛いと言い、あわてて家へ帰った。中国料理を食べに行ったとき、酔っ払い色々な料理を食べ、その中で気に入った料理があり「こいつはオツだね」と言い「それはカエルだよ」と聞かされると、顔色が変わり、持薬の寶丹を一袋全部飲み干した。
坂口安吾
安吾はヒロポン、覚せい剤、アドルムなどの薬物中毒で薬屋からアドルムを買占め、一度に50錠以上飲み、飲むとバットを振り回して暴れた。安吾は「ヒロポンを用いる限りはウイスキーを飲んで眠り、10日のうち3日ぐらい服用を中止すればほとんど害はない」と人に勧めていた。薬物中毒は酷く原稿など書ける状態ではないが、安吾の書くものは毅然として、骨太で、濃密である。文体はシャキットしていささかの乱れもない。このへんのギャップが、わかるようで、じつはわからない。安吾が壇一雄宅に寄宿している時に、睡眠薬を大量に飲んだ安吾が、ライスカレーを100人前注文する事件を起こした。ライスカレーはあとからあとから運ばれてきて縁側にずらりと並んだ。食べ物を残すのが嫌いな壇はライスカレーをもくもくと食べたという。
岡本かの子(岡本太郎の母)
岡本かの子は嫌われ者だった。世間は薄気味悪い女占い師を見るような目でかの子を見ていた。ヘラで削り落としたくなるほどの白粉の厚化粧、脂肪で膨らんだブヨブヨの贅肉、首がないから蛙顔が体にくいこんでおり、極東手品団女団長のようなギンギラの衣装をつけ、十本の指に八本の指輪をつける悪趣味はおぞましい異物として世間の目に映った。その容貌怪奇にくわえて、性格の無知傲慢さからくる自己愛とわがままなふるまい、無反省ぶりが世の顰蹙(ひんしゅく)を買った。かの子は漫画家の岡本一平と結婚して太郎を生むが、夫の他に二人の恋人と暮らすという異常な生活だった。それでも夫の岡本一平はかの子のプロデューサーであり、かの子にとって不利なことはいっさい言わなかった。
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