明星山(みょうじょうさん)日澄寺(にっちょうじ)
【宗派】日蓮宗(誕生寺末)
【山号】明星山
【本尊】日蓮上人像、曼荼羅(まんだら)
【御朱印】あり
【創建・由緒】(参考文献:天津のあゆみ、鴨川市史)
日澄寺に大正年間(1912年~1926年)にまとめられたと思われる「寺院由緒沿革書」によると、日澄寺は、文久元年(1264年)十一月十一日、日蓮の「小松原の法難」の際身代わりとなって討ち死にした工藤吉隆の館跡に建立された寺であると伝えられています。当寺はもと清国寺という真言宗智山派寺院で、当地を支配していた菩提寺として葛川の河口近くに建てられていました。弘長三年(1262年)日蓮が伊豆の伊東流罪を許されて、安房の老母を見舞った際、同行していた六人の一人日朗(にちろう)の弟子である日澄は、清水寺の住職と宗教上の論争となり論破し、清水寺の住職は日澄に寺を譲り隠居したとされ、この時から寺号を日澄寺とし日蓮宗に改宗したといいます。日蓮の最晩年、弘安五年(1282年)工藤吉隆の菩提と弔うため、現在地に寺を移築したといいます。
その後、栄枯盛衰を繰り返し、元禄十六年(1703)の大津波により諸堂が流失。享保六年(1721年)頃、当時の住職「日融」が檀家と協力して寺を再建。それ以来160年ほど平穏が続きましたが、明治二十六年(1893年)火災により本堂や庫裏を焼失。その後、第四十三世住職日豊(にっぽう)は再建に取り組み、明治三十八年(1905年)念願の本堂を再建。
日澄寺は国道128号線の日澄寺バス停前にあります。
本堂
本堂向拝の龍の彫刻
稲荷社
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