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検儀谷神社【隠れ家的神社】

検儀谷神社の鳥居と参道

検儀谷神社(けぎやじんじゃ)

 
南房総市検儀谷の「検儀谷神社」は少名彦神を祭神とする神社です。権現山頂上に鎮座し、参道の石段は急で手すりがないので、参拝はおすすめできません。
 
【社格】旧村社
【祭神】
 主神:少名彦神(すくなひこのかみ)
 合神:伊弉那美命(いざなみのみこと)
主神の少名彦神は、日本書紀では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子、古事記では神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされています。「出雲国風土記」ではこの神が大国主と二人で稲種を広めたとあり、「伊予国風土記」「伊豆国風土記」では、温泉の神、医療禁厭(まじない)の法を定め酒を造ったとされています。
【御朱印】なし
【祭礼】8月の第3金曜・土曜 岩井地区祭礼
 ※後藤利三郎橘義久の彫刻を施した人形屋台があるようですが現在は出祭はしていないようです(未確認)
【由緒・沿革】(参考文献:富山町史)
寛政五年(1793年)「村鑑明細帳(検儀谷区有文章)」に「社地三カ所、権現宮、熊野宮、弁財天」とあり、往古は権現宮と呼ばれていました。このことから創建は寛政五年以前と考えられていますが、詳細は不明です。
 
「検儀谷原村村誌」によると、明治元年の「神仏分離令」を施行するにあたり村民の間に混乱が起こったようです。「座王権現」を仏像と考え、社を「仏堂」に改め、その後、これは「仏体」ではなく「神体」であることが明らかとなり、困って往古より鎮守であった本社を「検儀谷神社」と改称し村社としたとあります。
 
明治四十二年(1909年)熊野神社を合祀、昭和五十九年には社殿の新築工事(棟札)が行われました。
【社宝】
・蔵王権現像 1体
・蔵王権現像図 1軸
・台座裏墨書銘

検儀谷神社御神像再興 刻師
千倉町 後藤義孝
昭和二十六年十月十一日
寄進者 検儀谷区氏子一同
区長 石井 孟 代理者 池田 正雄
氏子総代 川名 豊
仝(どう)池田 平
仝    池田 六郎
宮司 川崎丹後守藤原重彦謹誌

合祀神社

 

熊野神社

 
往古は、検儀谷(神作田)405番地に祀られていた。祭神は伊弉那美命(いざなみのみこと)。創建は不明ですが社の棟札に『元禄十二年(1699年)再興、別当導師、持福寺(現鋸南町市部瀬 真言宗 延命山持福寺)』とあり、元禄十二年(1699年)以前の創建と考えられています。
 

弁財天

 
検儀谷字弁財天の地に小祠が祀られていたと伝わりますが、詳細は不明。
 


 

境内案内

 
参道入口の鳥居は笠木、貫、柱のすべてが円形の神明鳥居。年代は不明です。
鳥居の奥は急な石段。石段は古く所々風化しているので大変危険です。
参道の急な石段
 
社殿は権現山の頂上に鎮座。境内には拝殿右手前に手水石、拝殿奥に石宮二基があるのみで、狛犬や石灯籠などは見当たりません。
石段の上にある拝殿
 

手水石

 
三角形の手水石。年代は不明です。
手水石
 

拝殿

富山町史によると昭和五十九年に社殿の新築工事とあります。拝殿と本殿は一体となっています。
拝殿
 
軒下には大きなスズメバチの巣の跡があります。
拝殿のスズメバチの巣
 

石宮

 
拝殿裏には小さな石宮が2基あります。文字は読み取れませんが、合祀された熊野神社と弁財天でしょうか?
石宮

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