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大黒山展望台【鋸南町の360度大パノラマ】

大黒山展望台(だいこくやまてんぼうだい)

 
鋸南町勝山のシンボルである大黒山。地元では誰もが知っている山ですが、観光地としてはそれほど有名ではありません。私が2014年に館山に移住した際、あの山は何だろう?上に建っているのはお城なのか?としばらく不思議に感じていました。鋸南町在住のN子に尋ねたところ「ああ、あれ大黒山ていうんだ。確か宝くじが当たって誰かかお城みたいなのを建てたって聞いたことがあるよ」と言っていました。この話本当なのでしょうか?
今回はこの話を思い出して調べてみると思った通りデマでした。この展望台は「勝山城展望塔」と言い平成二年に鋸南町三十周年を記念して建設されたと案内板にありました。
 
2020年5月現在展望台が破損しているため、頂上付近は立入り禁止です
大黒山は海辺にそびえる標高75mの山。周辺に山がないため頂上は360度の大パノラマ。ハイキングコースのようになっていますが、頂上までは十分程度です。

ハイキングコース入口

 
安房国札三十四観音霊場の第六番に指定されている長谷寺境内にハイキングコース入口があります。
長谷寺本堂と観音堂
 
本堂右側の階段に上に観音堂があります。
長谷寺の観音堂
 
観音堂の右奥がハイキングコース入口です。
ハイキングコース入口
 
左側は浅間神社・金比羅宮方面、右が大黒山展望台。左側は草が茂って道が狭くなっているので、右側の展望台方面へ進みます。
大黒山展望台の案内
 

醍醐新兵衛の墓所

案内板のすぐ先には鋸南町指定史跡の「醍醐新兵衛の墓所」(昭和四十九年十一月三日指定)があります。
 

醍醐新兵衛とは(案内板より)

房総捕鯨の祖、醍醐新兵衛定明(だいごしんべえさだあき)は、寛永七年(1630年)勝山に生まれました。醍醐家の出自については諸説ありますが、里見時代の末には勝山にあって、浜名主としての地位にあったようです。定明は漁師たちをまとめ、計五十七隻にも及ぶ大組(おおぐみ)、新組(しんぐみ)、岩井袋組(いわいぶくろぐみ)という世襲制の鯨組を結成し、夏場、勝山沖に回遊してくるツチクジラを集団でしとめる捕鯨業を始めました。名主として村を指導する一方、妙典寺淨蓮寺の再興に貢献した篤信家(とくしんか)だった定明は、宝永元年(1704年)に亡くなり、仁浜浦(にばまうら)を一望できるここ大黒山の中腹に葬られました。
 
以後、醍醐家は代々新兵衛を名乗り、鯨組の元締めとして、また勝山村の名主として村の発展に尽くし、江戸時代を通じて勝山は捕鯨の里として栄ました。勝山藩からは苗字帯刀(みょうじたいとう)を許され藩領の大名主にも選任されています。また、幕末には八代定緝(さだつぐ)九代定固(さだかた)は勝山藩と連携し、幕命により蝦夷へ渡り、北海道、樺太に漁場を開き、北洋漁場開拓に貢献。明治になって十代徳太郎は小笠原伊豆大島洋上にて洋式捕鯨を展開しましたが、明治以降の不漁により勝山の捕鯨は終わりを告げました。
 
初代醍醐新兵衛定明の墓の横に江戸の狂歌師蜀山人(しょくさんじん)太田南畝の狂歌碑が建てられています。
「いさなとる 安房の濱辺は魚篇(うおへん)に京という字の都なるらん」いなさとは鯨のこと、京(けい)は兆の上の単位で大きいという意味。文化二年(1805年)蜀山人が勝山の醍醐家の繁栄ぶりを詠んだ狂歌です。
鋸南町教育委員会
醍醐新兵衛の墓所と蜀山人の狂歌碑
 

忍足佐内(おしだりさない)の岩牢跡

(参考文献:富浦町史)
忍足佐内(享保十四年(1729年)~ 明和八年(1772年))は金尾谷村(現富浦町)の名主でした。明和の頃、干ばつや飢饉が続き各名主は勝山の役所へ年貢の減免を訴えました。しかし役人に賄賂を贈っていない金尾谷村と小原村の願いは聞き入れられませんでした。そこで、佐内他3人の名主は勝山藩の江戸幕府に直訴。この件で賄賂を求める悪政が露見することを恐れた勝山の役所は、この岩牢に佐内を投獄し、四方引き回しの上、白塚川(現 福澤川)にて処刑してしまいました。
南房総市富浦町の福沢川の川辺には忍足佐内殉難の碑が建てられています。
 
忍足佐内殉難の地 南房総市指定史跡(昭和49年4月25日)
忍足佐内の岩牢跡
 

遊歩道

 
忍足佐内の岩牢跡より先は遊歩道が整備され危険な場所はありません。階段はコンクリート製で手すりもしっかりとしています。
頂上までゆっくり歩いて10分程度なのですが、坂道が急なので普段運動をしていない方は少々大変かもしれません。
遊歩道の階段遊歩道の階段

 

展望台

 
展望台は2020年5月現在立ち入り禁止となっています。
大黒山展望台
 

勝山城

 
頂上の石宮横には「勝山城の由来」の案内があります。ここに勝山城があった訳ではありませんが、案内板の内容をそのまま掲載します。
 
勝山城は、源頼朝が石橋山の戦いに敗れ当地へ逃れてきた際、いち早く従臣した地頭安西氏が出城として築いた砦に始まる。安西氏は大黒山南方の八幡山山麓に主郭を構え、江戸初期里見氏滅亡までこの地を領した。
 
その後内藤氏、佐倉氏の居城となり、寛文八年(1668年)坂井忠国が若狭小浜藩より分封され、以来九代201年に渡る酒井勝山藩一万二千石(天和二年(1682年)一万五千石を数えたが翌三年、弟忠成に三千石分知した)の居住として明治に至る。この勝山城展望台は、鋸南町30周年を記念して、ここ大黒山に建設する。
 
安西安西景益の陣屋跡と考えられている平松城址は南房総市指定史跡です。
 
山側の風景
 

展望台からの眺め

 
展望台の眺望は360度の大パノラマ。天気の良い日は伊豆諸島や富士山まで見渡せます。下の画像は釣りで有名な勝山港です。
勝山港の風景
 
下は浮島と呼ばれています。浮島右側の穴の空いた岩は、岩穴に夕日が沈む撮影スポットとしてカメラマンに人気です。
岩穴へ沈む夕日
浮島と岩穴
 
こちらは山側の風景。山の名前は詳しくありませんが、左が浅間山、右は津野辺山かも知れません。鋸南町の里山田園風景に癒されます。
里山田園風景
 

魚見石

頂上の海側にある大きな岩は魚見石と呼ばれていました。昔はこの岩から捕鯨の様子を信号旗で船頭や鯨組に知らせたそうです。
魚見石

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