八雲神社(やぐもじんじゃ)
【祭神】須佐之男命(すさのおのみこと)
【祭礼】毎年10月初旬(曽呂地区の合同祭礼)
【由緒】(参考文献:曽呂のあゆみ)
「神社名鑑」によると享禄年間(1528年~1531年)に武蔵の国から勧請したとありますが、神社名は不詳です。明治二十年(1887年)日の神を祀る村内字日ノ爪(ひのつめ)の日神社(祭神:天照大神)を合祀しました。
八雲神社に伝来する由緒書きや諸資料によると、同社は享保三年(1718年)に本殿を再建、明治十四年(1881年)にも本殿を建て直しています(費用五十二円三十三銭)。天保二年(1831年)に神祇伯(じんぎはく)(神祇省の長官)の白川家から幣帛(へいはく)を頂戴して神輿に収めています。明治二十八年(1895年)と昭和八年(1933年)には鳥居を新造しています。
大正九年(1920年)区代議員と氏子総代の会議にて神饌幣帛共進指定神社に申請することが決められ神殿が改築される。大正十年(1921年)指定村社昇格が村から認可されました。
この際にかかった費用は改修、整備費が千五百二十七円、式典費が八百三十二円でした。当時の金額を現在の金額に換算すると(参考:教えて!にちぎん『昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?)ざっと516倍とすると、整備費が約79億円、式典費が約43億ととんでもない金額になります。正確には換算できないかもしれませんが、式典費が整備費の半分以上というのはちょっと高すぎるのではないでしょうか。
鳥居
鳥居はコンクリート製神明系の靖国鳥居。房州の神社の鳥居としては大型のものです。
常夜灯
常夜灯は文字が刻まれていますが風化して読み取れません。
狛犬
狛犬は大正十五年(1926年)奉納。当時の経緯を記した「狛犬建設日記」によると、狛犬建設にあたって重立ち会が結成され、村内の東宮神社(とうぐうじんじゃ)や打墨神社の狛犬の価格や建設費を調査。さらに、館山の北条町高井の菅原神社(現在館山市高井に菅原神社という名称の神社は存在しない)、那古町の亀ヶ原八幡神社の狛犬も調査し結局、打墨神社の狛犬をモデルとするように決まりました。建設費は五百三十円です。先に書いた式典費の八百三十二円と比べるとずいぶんと安いように感じます。
常夜灯
拝殿
龍の彫刻
拝殿の向拝には龍と獅子、波と鯉の彫刻が施されています。立体感があり見事な彫刻ですが、奉納者の名前は彫られていますが、彫工師の名前は確認できませんでした。
御神木の根元には石碑が置かれています。合祀された日神社の石碑もあります。
境内には大きなヤマユリが咲いていました。