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洲崎神社【祭りと文化財】

洲崎神社入口の画像

洲崎神社(すのさきじんじゃ)

 
館山市洲崎の「洲崎神社」は御手洗山(みたらしやま)の山頂付近に鎮座します。房総半島の先端に位置する洲崎は、外洋と内海とを分ける海洋交通の要地なっていて、この地に鎮座する洲崎神社は、古くから漁民の信仰を集めてきました。
 

目次

 
1.祭神、由緒
2.境内案内
3.文化財
4.年間行事
 


 

 

1.祭神、由緒

 
【祭神】
 主神 :天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
     ※安房開拓の忌部(いんべ)一族の祖神、天太玉命の后神(さきがみ)
 相殿神:天太玉命(あめのふとだまのみこと)
     天富命(あめのとみのみこと)
【祭礼】例大祭 7月20日~22日
【由緒】(参考:館山市史、房総の古社)
現在洲崎神社には、『洲崎大明神由緒旧記』(宝暦三年(1753年))、『洲宮神社縁起』、『洲崎大明神縁起』(養老元年(717年))の3種類の由緒書が所蔵されています。『洲崎大明神由緒旧記』、『洲宮神社縁起』 は祭神を天比理乃咩命とし同じようなことが記されていますが、『洲崎大明神縁起』前者2つとはまったく違う内容が記されています。この縁起書の大要は、
「昔、ここに鐘池という池があり、大蛇が住んでいて水底に沈む鐘を守っていたが、ある時崖崩れにより池が埋まってしまった。それから大蛇は人や船に災いをかけるようになり、氏行者(えんのぎょうじゃ)に頼み七日七夜の祭りを営むと、蛭児尊(ひるのこのみこと)が現れ大蛇を退治してやろうと告げ、新しい社を建てて崇敬するようになった(養老元年7月21日)」。
 
天比理乃咩命を祀る神社は房総に二社あり一つはここ「洲崎神社」もうひとつは「洲宮神社」です。この二社はどちらが本来の式内社であるかの論争が続いていましたが、古い資料が火災などにより焼失してしまい、確かな証拠は残っていません。
 
洲崎神社の隣には「養老寺」正式には妙法山観音寺という真言宗智山派の寺院があり、江戸時代までは社僧を勤めていました。
 

洲崎神社と源頼朝

 
洲崎神社は源頼朝が石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた際、一番最初に参拝した神社として知られています。『吾妻鏡』によると治承四年(1180年)八月二十三日石橋山の戦いに敗れ、二十九日に安房国平北郡猟島(鋸南町竜島)に上陸した。九月四日には幼少の頃より親しかった豪族「安西三郎景益」の館に滞在し翌五日に「洲崎明神に御参有り、宝前に丹祈りを凝らし給う云々」と記されていて、洲崎神社にで戦勝祈願を行ったとされています。
 

 


 

2.境内案内

 

石灯籠

 
紀元二千六百年記念と彫られているので昭和15年(1940年)の神武天皇即位紀元(皇紀)に奉納されたようです。
 

大注連縄(おおしめなわ)

 
高さ15mコンクリート製の明神鳥居には長さ13mの大注連縄が掛けられています。
 
鳥居と石灯籠の画像
 

手水舎

 
手水舎も手水石も大きく立派ですが、手水舎についての資料は見当たりませんでした。
 
手水舎(横)の画像
 
龍と波の彫刻。後藤流の彫刻でしょうか?刻印は見られませんでした。
 
手水舎の彫刻の画像
 
手水舎(正面)の画像
 

随身門

 
神社には珍しい朱塗りの門があります。この門についても調べてみたのですが、書籍などには記載されていませんでした。ウィキペディアによると宝永年間(1704年~1711年)造営とされています。両脇のガラス張りの中には2体の祭神が祀られています。
 
随身門の画像
 

厄祓坂(やくばらいざか)

 
随身門の先には、拝殿に向かって148段の長い階段があります。この石段を敬虔な心でのぼり参拝することで厄落としが出来るとされ「厄祓坂」と命名されたそうです。
 
参道の石段の画像
 

拝殿

 
扁額の「安房国一宮洲崎大明神」は文化九年(1812年)奉納。老中・松平定信公が、源頼朝公と洲崎神社との関係に深く敬意を表し奉納したとされ、これを機に房州一ノ宮となりました。
 
洲崎神社拝殿の画像
 

長宮(左下)

 
拝殿右奥の長宮には以下の祭神が祀られています。
・豊玉彦命(とよたまひこのみこと)海の神
・大山津見命(おおやまつみのみこと)山の神
・建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)厄除・開発の神
・大物主命(おおものぬしのみこと)農工商・医薬の神
 

金比羅神社(右下)

 
祭神:金比羅大神 漁業、航海、医薬の神
 
長宮の画像金比羅神社の画像

 

本殿 南房総市指定文化財 昭和47

 
神社建築としては珍しい唐様三手先(からようみてさき)を用いています。屋根
 
洲崎神社本殿の画像
 
洲崎神社本殿の屋根の画像洲崎神社本殿の彫刻の画像

 

稲荷神社

 
拝殿の右手前には赤い鳥居の稲荷神社が鎮座します。
祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまの神)商売繁盛、五穀豊穣
 
稲荷神社の鳥居の画像稲荷神社拝殿の画像

 


 

 

3.文化財

 

洲崎のミノコオドリ 千葉県無形民俗文化財 昭和36年6月9日

 
洲崎の踊りは、昭和36年(1961年)に千葉県の無形民俗文化財に指定され、昭和48年(1973年)に選択無形民俗文化財に指定されました。
毎年8月21日の例大祭に州崎神社の境内で奉納されます。踊りは「みろく踊り」「かしま踊り」の2種類があり、2人の音頭とりと1人の太鼓を囲み、女児(小学生から中学生が中心)たちが右手に扇、左にオンベ(御幣)をもって踊ります。「みろく踊り」は大漁や豊作を祈願し「かしま踊り」悪霊や災い祓いを目的としています。
 

洲崎神社本殿 館山市指定文化財 昭42年2月21日

 
<境内の案内板より引用>
屋根は銅板葺の切妻造り、前方の流れを延長して向拝屋根とした三間社流れ造りで柱などの軸部は朱塗りで仕上げられています。軒下の組物は、寺院建築に多い唐様三手先(からようみてさき)となっていて神社では珍しいといえます。
社伝では延宝年間(1673年~1681年)の造営とされますが、三手先の形式がくずれている天や、支輪(しりん)や虹梁(こうりょう)・蟇股(かえるまた)などの彫刻に江戸時代中期以降のものが多い点から、その後大規模な修理が加えられたことがわかります。
しかし、本殿の正面と背面には、古い社殿の部材と思われる蟇股もあります。とくに背面の竹に虎を配した彫り物のある本蟇股は、江戸時代初期の寛永年間(1624年~1644年)の様式に従っているもので、延宝年間の造営の際に再利用されたものと考えられています。
平成20年7月 館山市教育委員会
 

洲崎神社神体髪 館山市指定文化財 昭45年8月26日

 
神社には「五尺のおかもじ」と呼ぶ人の頭髪が宝蔵されていて、祭神の天比理乃咩命の頭髪とされています。これは、舟霊(ふなだま)に女性の髪の毛を入れる最も素朴な漁民信仰のひとつであり、生殖・生産の神だったことを示すものであるとされています。
 

洲崎大明神縁起 館山市指定文化財 昭45年8月26日

 
冒頭で紹介した養老元年(717年)の縁起書です。
 

洲崎神社自然林 千葉県無形民俗文化財 昭和47年9月29日

 
洲崎神社が鎮座する御手洗山は聖域として斧を入れたことのない自然林と言われ、昭和36年6月9日に千葉県の天然記念物に指定されました。斜面にはスジダイ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、トベラ、イヌビワ、ヤブコウジなどが茂り、長期に渡って安定した森林状態が形成された極相林となっています。
 


 

 

4.年間行事

 
1月 1日 元旦祭
1月 7日 湯立神事、海上安全、大漁祈願祭
2月初午 境内の稲荷神社の初午祭(みのこ踊り奉納)
7月の第3月曜日(海の日) 子供祭・神輿祭
8月20日 例大祭前日(みのこ踊り奉納)
8月21日 例大祭、お浜出神事(みのこ踊り奉納)
洲崎神社例大祭の様子
8月22日 例大祭後日(みのこ踊り奉納)
11月15日 洲崎地区合同七五三祈祷
12月30日 大祓、御神札類清祓
 


 

洲崎神社例大祭(みのこ踊り)

 
8月21日の例大祭の様子です。みのこ踊りは他の日にも奉納されますが、専用の衣装を着て踊るのは8月21日だけです。
 
弥勒踊りの画像鹿島踊りの画像

 

洲崎神社の神輿

 
8月21日の例大祭では148段の階段を神輿を担ぎながら下りてくる、お浜出神事が夏の風物詩となっています。
 
石段を下りる神輿の画像もみ、さしを繰り返す神輿の画像

 

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