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旧水田家住宅【国登録有形文化財】水田三喜男の生家

旧水田家住宅の居間の画像

旧水田家住宅(きゅうみずたけじゅうたく)

 
鴨川市西の旧水田家住宅は、7期に亘り大蔵大臣を務めた水田三喜男(注1)の生家で、国の登録有形文化財に指定されています。
 
旧水田家住宅の案内板の画像
 

正門

 
正門の奥には長屋門があり長屋門の奥には茅葺屋根の母屋があります。
 
旧水田家住宅の正門の画像
 

長屋門

 

長屋門は桁行16.4m、梁間5.5m規模の寄棟造。桟瓦葺出桁造の建物で、全体的に太い柱が使用され、正面右1室と左2室を牛小屋とする点に特徴がある。江戸時代以来の酪農地である嶺岡牧場の歴史を伝える建造物として重要でsる。建築年代は母屋と同時期か明治初期と推測される。(登録有形文化財 第12-0042号)

(案内板より引用)
 
旧水田家住宅の長屋門の画像
 

母屋

 

母屋は桁行15.8m、梁間11.1m規模の寄棟造、平入りのもと茅葺農家で、東側を土間とし、床上は囲炉裏を切った15畳の座敷を中心に食違いの5室構成である。西側に縁側、南面には瓦葺の下屋を差し掛けるなど房総民家の特色を持つ。建設年代は江戸後期と推測される。(登録有形文化財第12-0042号)

(案内板より引用)
 
旧水田家住宅の母屋の外観画像
 

土間

 
母屋右側は土間となっていてカマドなどがあります。
 
旧水田家住宅の土間の画像旧水田家住宅のカマドの画像

 
母屋中央部は板の間となっていて囲炉裏や仏壇があります。
 
旧水田家住宅の囲炉裏のある部屋の画像
 
囲炉裏のある部屋には階段があり天井裏に通じています。梁や柱は非常に太く立派です。関東大震災で周辺の家はほとんどが倒壊してしまったそうですが、この母屋は倒壊せずに残ったそうです。
 
旧水田家住宅の囲炉裏のある部屋の画像
 
母屋左側は畳の部屋が2部屋あり縁側があります。
 
旧水田家住宅の座敷の画像
 
旧水田家住宅の座敷の画像
 
縁側
 
旧水田家住宅の裏庭の画像旧水田家住宅の縁側の画像

 
庭は広くはありませんが、庭園のように綺麗に整備されています。母屋裏側には土蔵跡地があり建物は残っていません。
 
旧水田家住宅の庭園の画像旧水田家住宅の土造蔵跡地の画像

 

曽呂尋常小学校跡地

 
曽呂尋常小学校は水田三喜男が明治末から大正初めにかけて通った小学校です。この小学校は生家から約1.5km程の西神社の裏にあり、現在は廃校となっています。
当時、村の中央までは程遠いので、低学年の児童は本校に通うことができず、四年生まではこの分教場で授業を受けることになっていました。この分教場は明治七年(1874年)全国的にみてもきわめて早い時期に、この地域で開校した四つの小学校の一つで、昭和四十二年(1967年)の廃校まで、九十年の間郷土の人々を育んできました。
 
水田三喜男の父信太郎は、昭和四十二年(1967年)曽呂村の村長として、三つの小学校(上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校)を曽呂尋常小学校に一本化することに尽力し、県下の各町村に先駆けて近代的校舎を建築、人々の信頼を得ました。
 
曽呂尋常小学校跡地(正面)の画像
 
曽呂尋常小学校跡地(横)の画像
 

 


 

水田三喜男(注1)

 
水田三喜男は明治38年(1905年)4月13日千葉県安房郡曽呂村(現 鴨川市西)に6男2女の三男として生まれます。水田家は400年ほど前に四国の讃岐(現 香川県)から移住したと言われています。祖父の竹蔵は英国から輸入されたホルスタインを飼育したことで酪農史に名を残しています。また、祖父の竹蔵、父の信太郎はいずれも村長を務めていました。
 
三喜男は旧制安房中学校(現 千葉県立安房高等学校)、旧制水戸高等学校を経て京都帝国大学法学部に学びます。京都帝国大学を卒業後は、専修大学講師、北越石油監査役、日本鋼板常務、大同石油取締役を経て、昭和21年(1946年)22回衆議院議員選挙に出馬し初当選。以降13回目の当選を果たします。大蔵大臣7期、政調会長4回、通商産業大臣2回など、戦後を代表する政治家として知られています。
 


 

水田三喜男年譜

 
明治38年 千葉県安房郡曽呂村に出まれる
大正元年 曽呂村尋常小学校入学
大正13年 千葉県立安房中学校卒業
昭和6年 京都帝国大学法学部卒業
昭和21年 22回衆議院議員選挙に出馬し初当選
昭和27年 自由党政調会長
昭和29年 自由党政調会長
昭和30年 自由民主党結成、初代政調会長に就任
昭和31年 石橋内閣 通商産業大臣
昭和32年 岸内閣 通商産業大臣
昭和35年 池田内閣 大蔵大臣
昭和35年 池田内閣 大蔵大臣
昭和40年 城西大学創立
昭和41年 自民党政調会長
昭和41年 佐藤内閣、大蔵大臣
昭和42年 佐藤内閣、大蔵大臣
昭和45年 自民党政調会長
昭和46年 佐藤内閣、大蔵大臣
昭和51年 勲一等旭日大綬賞叙勲
昭和51年 12月22日 病気にて急逝、享年71歳、従二位に叙位される

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