北辰神社(ほくしんじんじゃ)
鴨川市北小町の「北辰神社」は丘の上の目立たない場所に鎮座する神社ですが、旧北小町村の村社です。地元では妙見宮(みょうけんぐう)と呼ばれています。
【社格】旧村社
【祭神】
・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
・国常立命(くにのとこたちのかみ)
・天穂日命(あめのほひのみこと)
【祭礼】北辰神社の祭礼 11月1日
【御朱印】不明(神主非常駐)
【由緒・沿革】(参考文献:主基のあゆみ)
創建年は不詳。天保十四年(1843年)に焼失し、その後再建されたといいます。
明治三十七年(1904年)二月に区内の菅公神社(祭神:天穂日命)を合併。明治八年(1875年)の「神社明細取調上」によると、菅公神社の旧号は天満宮で、祭神は菅原道真公でした。
昭和十六年九月神饌幣帛料供進(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)村社となり、十一月一日に例祭式を執行。
言い伝えでは過去何回かの大地震の節、北辰神社の境内は少しも揺れ動くことがなく、ここに避難した人の多くが救われたといいます。
鳥居は境内に3基あります。一の鳥居と二の鳥居は明神鳥居(みょうじんとりい)です。年代は風化が激しく正確に読み取れませんが、江戸時代後期の文化二年(1805年)のように見えます。
参道は長い石段となっています。参道入口には「御大禮奉祝記念碑」、鳥居、「参道舗装記念之碑」が建っています。
御大禮奉祝は明治4年に明治天皇即位の際に「主基斎田」で執り行われた「大嘗祭」の記念碑。
右手にあるお寺が長福院。
長福院のイヌマキ
長福院手前にあるイヌマキは高さ約13m、幹周405cm、直径129cmの大木で、昭和51年に鴨川市天然記念物に指定されました。
長福院
【宗派】真言宗智山派 太田学成就院末
【山号】妙見山
【本尊】不動明王
【御朱印】不明
【由緒・沿革】(参考文献:主基のあゆみ、鴨川市史)
創建および由緒の詳細は不明。江戸時代末期の天保五年(1834年)の成就院文書に、森覚蔵(幕府の代官)付属地とあります。
天保十三年(1841年)九月に境内の妙見宮が焼失。昭和十五年(1940年)三月に区内の薬師堂を編入。
参道途中の左側には大きな石碑や歴代住職のお墓があります。
手水石と石碑の文字は読み取れません。
相当に年代を経ているようです。かろうじて「法印」の文字が読み取れます。これらは歴代住職のお墓だと思われます。
この石段を上れば拝殿です。
境内の石宮と手水石
これが拝殿。向拝の彫刻はありませんが、大きな注連縄があります。
拝殿左の摂社。明治三十七年(1904年)合祀した菅公神社だと思われます。
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