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主基斎田跡(鴨川市埋蔵文化財)

主基斎田跡の全景

主基斎田跡(すきさいでんあと)

 
鴨川市北小町の「主基斎田跡」は明治四年(1871年)明治天皇即位の際に行われた大嘗祭(だいじょうさい)に用いられる新米を作った御用田の跡地です。
 
参考:主基のあゆみ、鴨川市史、案内板
毎年11月23日には全国の神社で天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめ天地の神様に新米をお供えする「新嘗祭(にいなめさい)」が執り行われます。この中で新しい天皇が即位した場合に行われるのが「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼ばれます。
 
大嘗祭の斎田の選定は亀の甲羅を焼いて占う「亀卜(きぼく)」によって悠紀(ゆき)と主基(すき)の2箇所が選定されます。
明治四年の大嘗祭は、悠紀が甲府県巨摩郡上石田村。主基が安房国長狭郡に卜定されました。
 
主基斎田は長狭郡のうち中田・上田を選んで進められ、明治四年七月十八日に北小町村字仲ノ坪の六反歩が選定されました。この土地の地主は、浅野長兵衛、松本左衛門、佐久間庄輔、石井八左衛門、前田小左衛門の5人で、5人がこれを知ったのは、稲の穂が出そうな秋頃のことでした。
 
御用田となった六反歩は青竹を立てて注連縄を張り巡らし厳重に囲われ、不浄物はことごとく取り払われました。さらに北の隅には番屋を建て花房藩の役人が昼夜絶え間なく監督・警備を行いました。西方は八畝ほど埋立て八神殿(天皇を守る八神を祀る建物)と稲実殿(いなのみでん)二殿と幕社、御警備所などを九月中旬までに建築されました。この際に使った杉は270本、代金は十五両二分であったといいます。
 
それでは現在の大嘗祭の経費はどのくらいなのでしょうか。毎日新聞の秋篠宮さまが公費支出に疑問 大嘗祭の秘儀と費用によると平成の大嘗祭総費用は、何と27憶1900万円だそうです。
 
現在鴨川市に残る主基の名(現在は住所として存在しない)は大嘗祭に因んでつけられたものです。
・明治22年(1889年)町村制の施行により、北小町村・南小町村・成川村・上小原村・下小原村が合併して由基村となる
・大正4年(1915年)に主基村と改称。
・昭和30年(1955年)3月31日、大山村、吉尾村と合併し長狭町を新設。
・昭和46年(1971年)3月31日、鴨川町、江見町と合併し鴨川市を新設。
 
<明治以降の大嘗祭>
 

天皇
(大嘗祭の年)
斎田 斎田の場所
昭和天皇
(明治4年)
悠紀 甲斐国
甲府県巨摩郡上石田村
(現甲府市)
主基 安房国
花房県長狭郡北小町村
(現鴨川市)
大正天皇
(大正四年)
悠紀 三河国
愛知県
(現)
主基 讃岐国
香川県讃岐郡山田村
(現綾川町)
昭和天皇
(昭和三年)
悠紀 近江国
滋賀県野洲郡三上村
(現野洲市)
主基 筑前国
福岡県早良郡脇山村
(現福岡市)
平成の天皇
(平成二年)
悠紀 羽後国
秋田県南秋田郡五城目町
主基 豊後国
大分県玖珠町
今上天皇
(令和元年)
悠紀 下野国
栃木県塩谷郡高根沢町
主基 丹波国
京都府南丹市八木町

 
明治天皇大嘗祭御斎田主基之地の石碑
 
明治天皇大嘗祭御斎田主基之地の石碑
明治天皇大嘗祭御斎田主基之地
 
米粒の形の石碑

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