高子神社(こうしじんじゃ)
【社格】無社格
【祭神】国常立尊(くにのとこだちのみこと)
別名:国底立命(くにそこだちのみこと)
【祭礼】7月14日 谷向の祭礼
高子神社の屋台
【御朱印】なし
【由緒・沿革】(参考文献:三芳村史)
創建など詳細は不明。境内神社として「白幡神社」「若宮神社」の2社があります。境内には日露戦争記念碑、忠霊塔などがあり伊勢皇太神宮碑、古峯講碑などが建っています。
参道入口には道標があり、曽つての国府村の中央部起点となった処です。
神社の幟は矢向出身の鱸松塘(注1)の筆によるもので「奉献高子神社」と大書きされています。
注1:鱸松塘(すずきしょうとう)
幕末明治時代の漢詩人。文政六年(1823年)十二月十五日、眼下医鈴木道順の長男として平群谷向村に生まれました。十三歳の時に平群元名村の儒医の元で漢詩を学びます。十七歳に江戸へ出て梁川星厳の門弟となり、梁川門下の三大詩人(枕山、湖山、松塘)とか四天王(岡本黄石)を含むと謳われるような大家となります。明治十五年の六十歳の時から明治二十八年七十三歳の十四年間は毎年のように諸国を歴遊して各地の門人との邂逅を楽しみました。明治三十年には東京を去り隠退してから郷里の谷向には住まず、那古川崎の別荘で余世を過ごし、明治三十一年十二月二十四日この別荘で永眠(享年76歳)。法名は房山院愛雨日詠清大居士。墓は谷向の蓮花院にあります。
鳥居をくぐると左に祭りの屋台小屋、右に手水舎があり少し先に常夜灯があります。
常夜灯の後ろは一段高くなっていて拝殿が鎮座しています。
忠霊塔
拝殿
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