正勝神社(まさかつじんじゃ)
南房総市和田町の正勝神社は、2020年~2021年1月渇水で話題となった小向ダム近くに鎮座する神社です。
祭神の天忍穂耳命は正式には『正勝吾勝々速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)』といい大変長い名前。須佐之男命(すさのおのみこと)と天照大神(あまてらすおおかみ)の誓約(神に祈って成否や吉凶を占うこと)によって生まれた神で、稲穂の神、農業神様とされています。
この神を祀る神社は南房総では非常に珍しく、私が調べたところでは館山市出野尾の十二所神社と館山市山本木幡神社ぐらいしか見当たりません。
【旧社格】村社
【祭神】天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
【ご朱印】不明
【祭礼】調査中
【由緒・沿革】(参考文献:和田町史)
創建年代は不詳。社名の「正勝神社」は祭神の『正勝吾勝々速日天之忍穂耳命』に起因しているようで、地域の人々は「正に我れ勝てり」と誇らしげに言っています。
社殿には二枚の棟札があります。
<1>
明治四年九月九日改 長尾県支配所 天下泰平五穀成就氏子安全 浅井郡小向村 正勝大神 名主 重平
祭日毎年九月九日令神勤者也 百姓代 庄次
同郡下三原村神職 正木要 藤原義高
<2>
奉再建正勝大神花表壱箇令新築者也
明治弐十壱年五月十有六日
御原村社掌 正木要
角田江斎
社頭の絵板に四十八句の俳句がかかれ献額されています。
明治十七年九月 判者 江斎先生
「見通せる耕地や稲も一靡(ひとなび)く」江斎
判者とは優劣・可否を判定する人、特に歌合せで作品の優劣を判定する人のことです。
角田江斎は下三原の渡辺家に生まれ、通称勘作といい、中三原角田沖堂家の養子となり、沖堂は五十七歳のとき勘作に家督を譲り隠居しました。勘作も里正(りせい=地域の長)となり二十余年六十歳で隠居して、その後は俳句をたしなみ七浦庵三斎の後を受けて、七浦庵と号しました。
中三原の寺谷(てらやつ)の通称「お塚」と呼ばれる墓所に有名な句碑があります。
「河豚(ふぐ)じるやいきても鶴の十分の一」
鳥居
周囲は里山と田園で民家はほとんど無いので赤い鳥居は目立ちます。形状は両部鳥居、年代は不明。
拝殿
創建は不明。棟札によると再建は明治四年(1871年)と明治二十一年(1888年)とあります。
手水石
江戸時代後期の文政元年戊寅(つちのえとら)十二月吉日(1818年)
小向ダム
2020年12月の減水時(貯水率33%)の小向ダム。一時はどうなることかと心配しましたが、2021年1月29日には貯水率91%まで回復。懸命な給水活動や住民の節水により見事危機を乗り越えました。
決め手は1月21日千倉の平舘稲荷山神社で執り行われた「雨ごい」。式が行われた日の貯水率は34.7%、24日からまとまった雨が降りはじめ26日には40.2%、29日には91%にまで回復しました。
■南房総市webサイト小向ダム貯水率
■房日新聞webサイト平舘稲荷山で雨ごい祈願
周辺案内
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■小向ダム
正勝神社から約650m 徒歩約2分
※釣りはできません!!
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■真言院の地獄絵図
真言宗智山派の寺院。地獄絵図は必見の価値あり。
正勝神社から約1.9km 車で約5分