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犬切観音堂【秘境の入定塚】

犬切観音堂の外観

遠山寿法恭主の入定塚

 
南房総市川谷の安房中央ダム横に犬切という部落があり、部落の一番奥には「犬切観音堂」があり、境内には江戸時代後期の天明五年(1785年)遠山寿法恭主の入定塚があります。ダムの近くに入定塚があるというのは以前から知っていて探していましたが、3回目の挑戦でようやく見つけることができました。
 
<参考文献:丸山町史>
故老の記録によると、ある時旅人がこの地を訪れ、故国で喧嘩のもつれから人を殺(あや)めてしまい、身内の者に追われて遠くこの山里まで逃げてきたが、疲れ果ててしまったので暫くかくまってもらいたいと犬切の里人にひたすら頼まれました。里人たちは委細を承知し観音堂の守人として置くこととなり、しばらくの間、里人とも親しく交際していました。
 
やがて歳月は流れ若かった旅人も老境に入る年並となると、堂守はある日里人を集め「私がこの歳まで仇を討たれずに無事に過ごしてこれたのは、皆様方のお陰です。老人になって仇討ちをされるのは誠に惨めなので、入定を遂げたいのでどうか最期のお慈悲と思ってお見送りをお願いします」と言い老堂守は、生身のまま悠々と土中の中に入り、私が生きている間は鐘を叩きますのでお聞き願いたいと告げて入定されました。
 
里人たちは代わる代わる鐘の音を聞きにいった。七日間その音は聞こえていたが、その後は途絶えたといいました。後世里人たちは堂守の供養のため観音堂の境内に供養塔を建てました。
 
塔の高さは65cm、幅26cmで正面に「遠山寿法恭主」とあり側面左に「天明五年巳年(1785年)二月十八日入定」、右に「生国肥前(長崎県)長崎之人」とあり、背面には次のような辞世が刻まれています。
 
川谷の清き栖家(すみか)へ流れ来て
濁らぬ先に立つや犬切
 

入定とは

 
入定について正確に説明するのはとても大変なので、簡単に説明します。入定とは、弥勒菩薩下生の五十六億七千万年後の理想世界に再び生き延びたいという願望から肉体をミイラ化させること。地下や洞窟に入り、座禅を組み、お経を唱え、断食苦行を数十日行い最後に往生を遂げ即身成仏となり肉体がミイラ化すること。入定は明治初期頃まで続き、安房地方でも各所に入定塚が残されています。
 

安房地方の入定塚

 
西春法師入定塚 南房総市白浜町滝口7279-2
 寛文七年(1667年)
■真応入定窟 南房総市谷向
 享保八年(1723年)
向西坊入定窟 南房総市和田町花園
 享保十六年(1731年)
■延命寺入定窟 南房総市本織2014-1
 明和二年(1765年)
■慈眼法師入定窟 鴨川市岡波太
 安永七年(1778年)
■増間入定窟 南房総市増間大日山
 文化年間(1804年~1817年)
実浄法師入定塚 南房総市白浜町
 安政四年(1857年)
■遠山寿法恭主入定塚 南房総市丸山町川谷 犬切観音堂
 天明五年(1785年) 
日鑑上人入定窟 南房総市加茂 日運寺
 文化五年(1808年)
 
観音堂の入口は国道410号線の犬切バス停の近く、経塚山ハイキングコース入口の案内があります。この先は道が狭く車を停めるスペースが無いので、車はダム周辺に停めてください。
観音堂は、この案内板から約350m位の場所にあります。
犬切バス停と経塚山ハイキングコース入口
 
これが観音堂の入口です。石段手前には大きな銀杏の御神木が二本あります。
犬切観音堂の入口
 
石段手前には左右に石碑がありますが、苔が多く文字は読み取れません。
観音堂入口左側の石碑観音堂入口右側の石碑

 
石段を上ると観音堂が見えてきます。
犬切観音堂を下から撮影
 
観音堂は崖の中腹に建っていて境内は狭いです。
犬切観音堂の外観
 
観音堂横には石宮がありますが、遠山寿法恭主の供養塔は見つけられませんでした。
犬切観音堂横の石宮
 
境内横の石宮群

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