熊野神社(くまのじんじゃ)
鴨川市川代の熊野神社は速玉男神、他八柱を祀る旧村社です。隣りの勝福寺は、かつて熊野神社の別当寺でした。
別当寺(べっとうじ)とは、江戸時代以前に神社を管理するために置かれた寺のことです。明治時代の神仏分離令により寺と神社が分離され、別当寺は次第になくなって行きました。
熊野神社概要
【祭神】速玉男神(はやたまのみこと)、大己貴神(おおなむち)他八柱
【祭礼】9月下旬(田原地区祭礼)
【御朱印】調査中
【由緒・沿革】(参考文献:鴨川市史/田原のあゆみ)
鴨川市史によると、明治三十七年の「諸社由緒取調」によれば勝福寺開山の大僧都厳海が文明十六年(1484年)に開いたといい、文録三年(1594年)の阿弥陀如来がありましたが、明治維新の際に勝福寺へ移したとされています。江戸時代には熊野三権現と呼ばれ、明治二年(1869年)九月に現在の熊野神社に改めたと伝わります。また、村内の須賀神社、山神社、厳島神社を支配していたといいます。
明治時代四十四年(1911年)の神社合祀により大場代の若宮神社、堀ノ内の御嶽神社、丸塚の祇園神社、大平の山祇(やまぎ)神社の四社が合祀されたことから祭神も多く、速玉男神、大己貴神、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、仁徳天王など八社が祀られています。
境内案内
森の中にある境内は三段に別れています。
一段目は「村社熊野神社」の碑や数基の石碑があり、正面は正面は勝福寺です。
二段目は鳥居と石灯籠、天満宮の社があります。
三段目は手水石と拝殿、本殿があり、本殿周辺にもいくつかの石碑が建っています。。
石段上の石碑
最初の石段の石碑は苔が多く読み取るのが難しいですが、一番大きな文字は大日本帝国???と彫られています。明治三十年代の文字も多く彫ってあります。「村社熊野神社」の裏側石碑も細かい文字が多く「名人附寄築所」の文字が読み取れます。
手前の常夜灯
2つ目の石段前の最初の常夜灯は比較的大型のものです。年代は分かりませんでした。
奥の常夜灯と鳥居
最初の常夜灯を過ぎて石段を上ると2つ目の常夜灯、鳥居、天満宮の小さな社があり、更に石段を上ると手水石、拝殿と本殿があります。
常夜灯は天明四年(1784年)製、鳥居は明神鳥居で台石に文字は彫られているものの、年代は風化して読み取ることができません。
天満宮
鳥居の右奥には天満宮の小さな社が鎮座しています。祭神は学問の神様「菅原道真」でしょうか?
手水石
拝殿右手前の手水石。大正三年(1914年)二月奉納・
狛犬
拝殿手前の狛犬。比較的大型で彫が深くどっしりとしています。慶應三年(1867年)丁卯歳四月吉日 石工 富村利右エ門 同 五左エ門
拝殿
一番奥が拝殿。創建は調べても分かりませんでした。向拝に龍の彫刻がありますが、写真を撮り忘れてしまいました。
拝殿と本殿を左横から撮影。右側が拝殿、左側が本殿。