熊野山 長興院(ちょうこういん)
鴨川市東江見の『熊野山長興院』は曹洞宗の寺院です。
このお寺は少々奥まった場所にあります。国道128号線のカネシチ水産付近から鴨川市の曽呂方面へ抜ける県道272号に入りJR内房線の線路を渡ってから700m程の場所にあります。目印は熊野山長興院の石碑と長い石段です。(下の画像)長い石段の上に見えるのが山門です。
【宗派】曹洞宗 三芳の延命寺末
【山号】熊野山
【本尊】正(聖)観世音菩薩
【御朱印】あり
【由緒】(参考文献:江見のあゆみ/鴨川市史 通史編)
『村鑑』によると創建は鎌倉時代の文保二年(1318年)。開基は本室長興大居士といい長興院の寺号はこの戒名から採ったとされていますが、その人物の詳細については不明です。『村誌』には永正二年(1505年)延命寺の開山吉州梵貞和を開山とする。永正十七年(1520年)里見実堯(さねたか)の要請を受け、本寺である延命寺に移られ、永禄元年(1558年)六月二十日に遷化(せんげ:高僧が亡くなること)された。
第五世右山秀左和尚には奇談があり、あるとき上方に所用があり、大井川の川留にあった際、持っていた教本を念じながらパッと開くと、たちまち橋が架かり悠々と渡っていったといいます。その場所を「秀左の渡し」といいその名が残っていたといいます。
また、第十六世の一光環三和尚は曽呂の産で、境内にある「佐粧一光先生顕彰碑」によると昭和五年(1930年)に熊野塾を開き300名ほどの塾生を輩出したといいます。なお、平成九年本堂改築のため堂内整理中に『村誌』が発見されました。
山門
建立年代は分かりませんが比較的新しい山門だと思われます。
鐘楼
山門の少し奥には鐘楼があり現在も使用されています。
本堂
本堂の創建は聞いていませんが、まだ綺麗なので最近再建したものだと思われます。
向拝の彫刻は龍と蓮の牡丹の彫刻でしょうか。作者は分かりませんでした。
佐粧一光先生の顕彰碑
曽呂村出身の佐粧一光先生は、長興院の第十六第の僧侶です。
大正十二年に駒沢大学を卒業すると同時に江見小学校に奉職されました。昭和五年に教職を辞された先生は、地元六名の勉学指導の願いを快く引き受け「熊野塾」を開校。塾の名声はたちまち近郷近在に広まり教えを乞うものは年を追って増す一方でした。開塾以来二十有四年あまりの長い間、先生は私たちを無報酬で教育してくださり、此の間輩出した生徒は三百名を超えております。しかしながら長い戦争は私たち塾生の中からも六十名近い戦死者を出しており、先生は戦死した塾生を痛く悲しみ毎年慰霊の供養を営んで冥福を祈っていてくださいました。先生のこの温情は戦後三十年を経った今日も師弟を深める基盤となっております。又、先生は社会福祉も護委員、学務委員等の要職を歴任され、中でも戦後十七年間の保育園長はその最たるものと言えましょう。
昭和五十三年三月六日、先生は齢八十三歳にして忽然とこの世を去られましたが塾生の慕情の念愈、募り茲に一同相倚り顕彰の碑を建立し合掌して其の偉徳を永く留めたいと思います。
昭和五十年八月 塾生一同 先生に位牌に曰く
長興院十六世一光環三大和尚禅師
本堂の正面は高台になっていてお堂と墓地があります。