青龍寺(せいりゅうじ)
宗派:真言宗智山派(千倉町円蔵院末)
山号:新田山
本尊:不動明王
由緒:寺伝によると延元三年(1338年)仁慶法印の開基。一時は荒廃していましたが、中興伝青和尚がこれを再興しました。和尚は永享元年(1429年)入寂しました。その後の詳細については明らかではありませんが、明治四十一年堂宇改築しましたが大正十二年の関東大震災にてすべて倒壊。大正十五年に千倉町の円蔵院の客殿を譲り受け再建。また、別の文章によれば、当山は新田義貞公の同族小宮某なる者が、主人義貞公の菩提を弔うため一寺を建立し新田山青龍寺と号し、延元三年(1338年)仁慶法印を迎え開山したとあります。
新田義貞は南北朝時代の武将で上野国(群馬県)新田荘を本拠とする豪族であり後鎌倉に攻め入り北条氏を滅ぼした。建武政権下では功により武者所の頭人職に任ぜられていましたが、将軍足利尊氏との不和が表面化し、暦応元年(1338年)藤島(福井県)の戦いで敗死したため追善供養のため青龍寺を建立したとあります。
(参考文献:丸山町史)
この井戸と石碑が目印で、本堂は高台にあります。
階段の上にあるのが本堂です。
本堂の前には大きな蘇鉄の木があります。
本堂からは岩糸の田園風景が一望できます。