莫越山(なこしやま)神社 南房総市宮下
祭神:手置帆負命(たおきほおひのみこと) 彦狹知命(ひこさしりのみこと)
祭礼:10月第2日曜
由緒:房総の古社および境内案内板より
社記に「莫越山神社は、養老二年(718年)神体山である莫越山の麓の現在地に遥拝所として造営されたもので、延喜式神明帳所載の神社(式内社)安房六座中の一である」と記され、古くから多くの信仰を集め、とくに工匠の祖神としてあがめられ、この地域の中心的神社として今日に至っている。
ここ宮下の莫越山神社の他に、沓見にも同名の神社があり、祭神も同じように手置帆負命、 彦狹知命が祀られています。『延喜式』「神明帳」安房国朝夷四座のうち第二順位に載せられている「莫越山神社」がどちらの神社なのかはっきりしていないようなのですが、沓見を式内社とする説が多いようです。
莫越山神社御神像 南房総市文化財(平成4年4月1日)
二神像ともに衣冠を着用し、拱手(きょうしゅ)して立ち、二柱の御祭神(手置帆負命 彦狹知命)の像として崇拝されて来た。両像ともに檜の一本造りで、全体的に簡略化が進んでいるところから、南北朝中期(十四世紀中頃から末頃)の作と推定される。
里見義康御朱印附曼荼羅 南房総市文化財(平成4年4月1日)
天正十九辛卯(かのとう)の年(1591年)安房国主里見義康は、領内の社寺や家臣・職人等に対し、朱印状を持って土地の寄進や知行地の宛行(あてがい)を行ったが、これは当時の莫越山神社の神職に宛てられたものと推定される。日付は「辛卯七月二六日」、宛名は「岩波弾正(だんじょう)かたへ」となっている。
朱印状:縦16.6cm 横45.7cm
龍朱印:5.75cm角の方印 龍図を含めて縦9.1cm
曼荼羅:縦8.2cm 横約863cm
南房総市 南房総市教育委員会 莫越山神社
莫越山神社永夜灯 南房総市文化財 平成17年8月25日
弘化二年(1845年)忍(おし)藩主 松平下総守 奉納
高さ3.1m
鳳凰、麒麟、龍、唐獅子の彫刻が施された石灯籠です。
常夜灯
大正十年(1921年)三幣介治郎 奉納
高さ3.6m
社務所兼宮下区集会所
狛犬
文政十年(1827年)江戸橘町 石工伊賀屋定吉 宮下の渡辺久左衛門の子 奉納
拝殿
祭りの日(10月の第二日曜日)には拝殿に紅白の幕と日の丸が飾られます。
永代護摩壇並道具寄進碑
天保十三年(1842年)壬寅二月 白雲山高雲寺十三世 廣海代 奉納
本願主 宮下村組頭 高橋治郎衛門 他四名
他 寄進者名主等六十余名 合計十八両三分
高さ約1.2m
一両を現在の米の価格で換算すると十万円弱となるようなので、この碑の価格は相当高額であったようです。
手水舎
手水鉢(ちょうずばち)は嘉永四年(1851年)三月奉納
出羽三山参拝記念碑
明治二十六年(1983年)建立 月山神社・出羽神社・湯殿山神社の出羽三山登拝記念碑
行者 高木政四郎 野田市平 三幣佐平治 尾形八右衛門 他
祖神講再興碑
明治四十二年(1909年)建立 講員三百人 御子紙久蔵 撰文 鈴木周太郎 書
再興人 岩波盛 三幣介治郎 石田猿吉 高橋市太郎 佐野良太郎
手水石
拝殿右横にも小さな手水石が置かれていますが、年代等は判読できません。
八幡神社
安政三年(1856年)再建 莫越山神社の鬼門除(きもんよけ)として建立
本殿裏には御神庫と石祠が二基あります。右の石祠が熊野社、左が石神者。
本殿裏の杉の御神木は江戸時代初期に植栽。幹周3.5m、樹齢約350年
【住所】〒299-2505 千葉県南房総市宮下82
【駐車場】あり