日蓮寺 お綿帽子のお祖師様

2017年08月13日

岩高山日蓮寺(がんこうざんにちれんじ)

 
【山号】岩高山
【宗派】日蓮宗(誕生寺末)
【本尊】曼陀羅
 
【由緒】(参考文献:小湊のあゆみ)
文永元年(1264年)小松原法難の際、日蓮聖人は東条景信らの襲撃により額に三寸余りの刀傷を受け北浦忠吾、忠内とともに岩高山に逃れ傷の養生をしたことから「日蓮聖人刀難避難養生の霊場」として知られ古くから「お綿帽子の祖師」「剣難除けの祖師」と呼ばれています。
その後、建治三年(1277年)中老僧寂日房日家上人(誕生寺二世)が日蓮ゆかりのこの地に寺を建立して岩高山日蓮寺と称したと伝わります。
 
これらの出来事にまつわり、当山には次のような史跡や伝承があります。
 
・疵洗井戸
・養疵窟
・血止めの砂 :洞窟の岩砂をけずり傷を癒した砂。読経しながら砂を傷口にぬると血が止まったという。
・綿帽子   :老婆の市が、傷の養生を続けていた日蓮聖人に自分のかぶっていた綿頭巾を傷の風防ぎとして供養した故事。
また、境内には祖師堂をはじめ、妙法船守稲荷堂、粟島善神堂、袈裟掛けの松などがあります。
 
日蓮寺の入口
 

疵洗洗治癒水井戸

 
小松原法難の際に日蓮聖人が傷の洗い流した井戸。駐車場の直ぐ上にあります。周囲にはあじさいが植えられていて6月下旬頃が見頃となります。
 
疵洗洗治癒水井戸
 
供養塔

 

養疵窟(おいわや)

 
小松原法難の際に日蓮聖人が傷の養生をした岩窟です。血止めの砂、お綿帽子の祖師の由来の場所です。
 
養疵窟
 
養疵窟のアップ
 
養疵窟の正面には貝の化石が残った石が置いてあります。表面の穴は、柔らかい砂岩にかもめ貝などが開けた穴です。
 
養疵窟の化石
 
養疵窟を上から撮影
 

日蓮大聖人第七百遠忌御報恩/手水舎

 
手水舎
 

妙法船守稲荷堂

 
妙法船守稲荷堂
 
境内前の森
 


 
【住所】〒299-5502 千葉県 鴨川市 内浦3049
【アクセス】JR外房線「安房小湊駅」から徒歩約30分
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【電話】スマホの場合はここから直接電話できます⇒04-7095-3063
【駐車場】あり
【トイレ】あり
【HP】岩高山日蓮寺
 

詳細情報

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