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久留里神社【千葉六妙見の一社】

久留里神社の鳥居と参道

久留里神社(くるりじんじゃ)

 

義援金について

 
<拝殿前の看板より>
君津市文化財に指定されている社殿は令和元年の台風15号により被災し再建の義援金を募集しております。
義援金は社務所にて受付。
不在の場合
電話0439-27-3187
【銀行振込】千葉銀行久留里支店 普通
 口座番号:3223325
 口座名義:シュウ)クルリジンジャ
 

久留里神社概要

 
【旧社格】旧郷社
【祭神】
 ・天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
 ・伊邪那美命(いざなみのみこと)
 ・天照皇大命(あまてらすすめおおかみ)
 ・少彦名命(すくなひこなのみこと)
 ・誉田別尊=応神天皇(おうじんてんのう)
【祭礼】7月中旬
 久留里商店街を中心に、千葉県内でも屈指の山車4基の引き回しが行われる迫力ある祭り。
【御朱印】あり
【文化財】久留里神社本殿 一棟
 ・君津市指定文化財(建造物)昭和50年8月4日 
【創建・由緒】(参考:君津市史/境内石碑)
久留里神社は当初、細田妙見と呼ばれ千葉氏の祖平忠常が久留里築城の際、守護人として妙見宮を迎え祀ったものです。妙見宮とは北極星を神格化した神様で、その御尊体は亀に乗った武人ですあり、北の魔除けとして尊重されています。
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創建は治安元年(1021年)久留里城主の平忠常の創建。北辰と天御中主命(あまのみなかぬしのみこと)を祭神とする妙見社で千葉六妙見の一社で千葉氏の氏神として栄えました。治承四年八月二十九日(1180年)源頼朝が真鶴より勝山に上陸。千葉胤頼(ちばたねより)を迎え当地を通過の際に妙見に戦勝の祈願をし鎌倉に入った後、征夷大将軍となり、当社の修祠を胤頼に命じ、建久三年(1192年)七月新廟(しんびょう)小櫃川上に旗竿、鏡、剣を奉納し、七月二十二日にお礼の祭りをした。以来、当社(久留里)の大祭を7月中旬となりました。
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戦国時代の里見、北条の数度の激戦にも被害はなく、徳川家康が関東を収める際に大須賀忠政をこの地に封じ忠政祈願所としました。後に土屋氏、坂井氏の信仰も厚く御朱印の寄進等がありました。寛保二年(1742年)黒田直純沼田より久留里に封印され久留里城の築城に当たった。
 
以来130年間の繁栄と城下町として街が発展しました。文化二年(1805年)六代目黒田直俟は神輿を奉納。昭和五年(1930年)に近くの10社を合祀しその総社となり、昭和50年8月4日に本殿が君津市の文化財に指定されました。
【沿革】
・治安元年(1021年)創建
・大正十五年(1926年)~昭和三年(1928年)神社、随神門、神輿などを改築
・平成三年(1991年)石段を修復
・平成八年(1996年)末社殿改築
・平成九年(1997年)神輿庫完成
・平成十三年(2001年)参道および拝殿前の石畳修復
・平成十六年(2004年)井戸の再掘削および境内整備
・平成二十年(2008年)鳥居改修

 


 

境内案内

 
国道410号線沿いに無料駐車場と社務所があります。境内入口には朱塗りの大きな鳥居があり、鳥居の先は石段となっています。石段途中には「亀の鎮魂碑」の周りには湧き水と池があります。石段を上ると朱塗りの随神門があり、その先は境内となっていて拝殿と本殿が鎮座しています。
 

久留里の水

 
境内には数カ所水が湧き出ています。「久留里の水」は、平成20年六月千葉県で唯一の「平成の名水100選」に選ばれました。久留里地方に伝わる上総掘りの自噴井戸で、飲料用を中心に約200本の井戸が確認されています。久留里商店街周辺には無料の水くみ場が多数あり、ペットボトルに入れて持ち帰る人が多く見られます。
 
千葉県公式観光サイト(まるごとeちば)久留里の名水
久留里神社の社務所と駐車場久留里の名水

 

狛犬

 
鳥居手前の狛犬は比較的大型のものです。年数を経ているようで、文字は確認できますが、風化が激しく読み取ることはできません。
鳥居手前の狛犬(左)鳥居手前の狛犬(右)

 

鳥居

 
形状は両部鳥居。昭和八年に大改修が行われ、その後虫食いなどの被害が大きくなり倒壊の危機に晒されたため、平成二十年十一月に再建されました。
久留里神社の両部鳥居
 
久留里神社の常夜灯(左)久留里神社の常夜灯(右)

 
鳥居前の湧き水
 

随神門(随身門)

 
随神門は、大正十五年(1926年)~昭和三年(1928年)にかけて改修されています。随神門は随身門とも書き境内に邪悪なものが入るのを防ぐ目的で建立されます。
南房総で随神門のある神社は珍しく、私の記憶ではここ一社だけです。
久留里神社の随身門
 
左大臣(櫛磐間戸命)と右大臣(豊磐間戸命)。
随神門の左大臣随神門の右大臣

 

境内

 
石段の上の境内には、狛犬、手水舎、石灯籠、社殿、神輿蔵、末社殿などがあります。
久留里神社の境内
 

手水舎/手水石

 
随神門手前の手水舎。年代は読み取れませんでした。
手水舎手水石

 

常夜灯

 
拝殿手前の常夜灯。こちらも相当な年代を経ているようで文字は読み取れません。
拝殿前の常夜灯(左)拝殿前の常夜灯(右)

 

御神水

 
絶えず懇々と水が湧き出ています。御神水も上総掘りの自噴井戸なのでしょうか。
御神水
 

境内

 
久留里神社本殿は昭和50年8月4日に君津市文化財(建造物)に指定されました。

文化財について(境内の案内板より)

久留里神社は、拝殿と本殿を後世に連結したものです。本殿は入母屋(いりもや)造り、銅板葺き、二軒の繁垂木(しげたるき)です。平面構成は桁行梁間(けたゆきりょうかん)とも実長6.3mの三間社です。構造は長押(なげし)、頭貫(かしらぬき)、台輪(だいりん)をつけ柱上には平三斗(ひらみつど)、柱上上部には蟇股を備えています。床高は95cmで和様高欄の回縁がつき、正面中央の内法は178cmです。柱間の正面は拝殿に向かって解放され、内部は広い一室の空間で、床は拭板敷、天井は格天井(ごうてんじょう)です。
 
この本殿は、妙見堂(みょうけんどう)として建てられたものであり、一般の社殿建築における「本殿」とは異なっている点が見られます。空間内の配置は、現に中央正面に「海老の腰」のついた禅宗様の須弥壇(しゅみだん)が置かれ、その上に千鳥破風(ちどりはふ)つき、二軒の繁垂木、二手先斗棋(ときょう)などを備えた厨子(ずし)があり、これを宮殿(きゅうでん)としており、神仏習合時代のなごりをうかがわせます。
 
この本殿は江戸時代後期に、この地の城主黒田氏の援助によって改築されたものと考えられています。
君津市教育委員会
久留里神社の拝殿アップ
 

末社殿

 
拝殿右手前に末社殿が鎮座。
 

庚申塚

 
拝殿右奥の庚申塚。庚申塚は中国より伝来した庚申信仰により建てられる石塔で、江戸時代初期に日本でも青面金剛や三猿像、阿弥陀、地蔵などが多数建てられるようになり、沖縄県を除く全国で確認されています。
末社殿拝殿左奥の庚申塚

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