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成就院【房州真言宗の十本寺の一寺】

成就院の山門と本堂の画像

清水山成就院(じょうじゅいん)

 
鴨川市太田学の「清水山成就院」は真言宗智山派の寺院です。房州における真言宗の名刹として配下の門葉(もんよう)三十七か寺を抱えていました。本堂裏山の本堂裏の清龍堂には、後藤義光の松と鷹と小鳥の彫刻があります。
 
【宗派】真言宗智山派
※南房総市府中の宝珠院
【山号】清水山
【本尊】不動明王
【御朱印】お寺にお問い合わせください
【由緒・沿革】(参考文献:鴨川市史/田原のあゆみ)
戦国時代には里見氏の保護をうけ、その後は江戸幕府から御朱印十石の寺領を認められていました。檀家を持たない寺(境内には墓地が見当たりません)であり無住職となったため、現在は、鴨川市打墨の金乗院の住職が兼務しています。
 
開山は、永正(えいしょう)十年(1513年)弘宣法印が開山し第一世になったとされています。しかし、これについてはいくつかの説があります。いづれにしても由緒ある寺である点に変わりはありません。
 

説その1

成就院に伝わる古文書には、永正十年の130年前の永徳三年(1383年)八月に上総賢祐(けんゆう)という人物から鎌倉府(室町幕府の政庁)から長狭郡柴原子郷上村(加茂川の上流域)に所在した佐野寺の別当職に任命された補任状(ぶにんじょう)があります。柴原子郷は十二世紀頃、長狭平野の西部に成立した郷とされますが、佐野寺という寺も現存せず寺の所在も明らかではありません。このことから、佐野寺は成就院の前進であったと考える説です。佐野寺は、長狭常伴(つねとも)の菩提樹か、金山城主東条氏の祈願寺として建立され、その後衰微したので永正十年に清水寺成就院として中興開山したという説です。
 

説その2

成就院文章の冒頭に「成就院は永正年間(1504~1520)以前は、当群小原村にあり、里見安房守から十石の寺領の寄進をうけた」と記されています。
 


 

山門手前の石碑

山門手前左側には石碑が並んでいます。
山門前の石碑群山門前の石碑アップ

 

山門

成就院の山門
 

鐘楼(しょうろう)

山門をくぐり左側を見ると鐘楼がありますが、梵鐘はありません。
成就院の鐘楼塔
 

改築記念碑

境内の中央の記念碑。成就院改築竣工記念碑 安房国第四十九番とあります。館山ミュージアムフィールドによると
「昭和九年(1934年)弘法大師100年遠忌で作られた安房国八十八ヶ所」とありますが、安房国八十八ヶ所霊場、第四十九番成就院は、どうやって検索しても見つかりませんでした。
成就院改築竣工記念碑
 

本堂

本堂は昭和六十年十二月に改築されました。
成就院本堂と境内
 
成就院本堂
 

本堂向拝の彫刻

本堂の向拝には龍の彫刻があります。二匹の龍は躍動感にあふれていますが、刻印などはありません。
本堂向拝の龍の彫刻
 
木鼻の獅子の彫刻。
木鼻の獅子(左)木鼻の獅子(左)

 

清龍堂

本堂裏側には清龍堂があります。
本堂裏の清龍堂
 
清龍堂のアップ
 
清龍堂向拝の松と鷹に小鳥の彫刻は明治6年、後藤義光59歳の作品。彫刻の裏側には「朝日郡細工人 後藤橘義光」と彫られています。
手前側にある波と鯉の懸魚(けぎょ)は、後藤義光の長男、二代目の紋治郎の作品です。
後藤義光の彫刻

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