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赤山地下壕跡 館山市指定史跡

赤山地下壕の内部画像

館山海軍航空隊赤山地下壕跡(通称:赤山地下壕)

 
<赤山地下壕について> (案内板より抜粋)
 
平成16年4月1日に一部が一般公開された赤山地下壕は、全長1.6kmと全国的にも大きな壕で、館山市を代表する戦争遺跡として館山市指定史跡に登録されています。
昭和5年(1930年)館山海軍航空隊がつくられ昭和20年(1945年)の終戦までの間、館山市香(こうやつ)から沼までの間には第二館山航空廠館山補給工場、横須賀軍需部館山支倉、洲ノ埼(すのさき)海軍航空隊など、さまざまな軍事施設がつくられました。館山は東京湾の入口にあることから、多くの戦争遺跡が残されています。
 
建設時期ははっきりとしていませんが、このような地下壕が太平洋戦争(昭和16年)以前につくられた例はないと言われています。
赤山地下壕は、昭和10年台の初めにつくられたという証言もありますが、軍部が本格的に防空壕をつくりはじめたのは昭和17年(1942年)より後であるとされています。
証言によると館山各地にある「館空」基地の防空砲台軍の戦闘指揮所としての機能や、実戦用の野戦病院のような医療施設として使用されたといわれ、壕内部の形状から基地の司令部・奉安殿・戦闘指揮所・兵舎・病院・発電所・航空機部品格納庫・兵器貯蔵庫・燃料貯蔵庫等の施設があったと考えられる。
 
受付で料金を払うと懐中電灯とヘルメットを貸してもらえます。内部は天井が低く凹凸があるので、安全のためにヘルメットをかぶります。
 

赤山地下壕の案内板

 
入り口付近に赤山地下壕の全体図と説明の案内板があります。 内部は枝分かれが多く複雑な迷路のようですが、見学できる部分は、ほんの一部でです。通路には案内板もあるので迷うようなことはありません。
 
赤山地下壕の案内板の画像
 
入り口付近は天井が高く懐中電灯なしでも大丈夫。
 
赤山地下壕の入り口の画像
 
入り口は数mで突当りになっているので、標識に従い左折します。真夏で外は猛暑ですが、内部は涼しくひんやりとしています。
 
赤山地下壕入り口付近の突き当りの画像
 

自力発電所跡

 
この一角は壁面がコンクリートで補強され、発電所があった場所です。昭和20年に航空隊正門前の変電所から移転され、ディーゼルエンジンが2台あったそうです。
自力発電所跡の画像
 
発電所の先には変電所電気員の待機所跡があります。窪みには2段ベットがあったそうで、10人位が交代勤務していたそうです。
 
赤山地下壕の内部画像1
 
待機所跡の先の縦長の窪みは電話番が腰掛けて勤務していたそうです。その隣の左側はトイレで、桶が置いてあったそうです。
 
赤山地下壕の内部画像2
 
赤山地下壕の内部画像3

応急治療所跡

 
このあたりに病院施設があったという証言が聞かれます。金属の2段ベットがあり、軽い患者が治療対象だったようです。被弾した兵士も治療を受けていたそうですが、重傷者は横須賀海軍基地で治療を受けたということです。
 
応急治療所跡
 
赤山地下壕の内部画像3
 

キノコ栽培のボイラー

 
終戦後は忘れられた存在になっていましたが、温度が一年中一定であることから、昭和30年頃よりキノコの栽培に使われていました。
国内の他の地下壕でもキノコ栽培が行われたようです。この風呂やボイラー、コンクリートブロックなどは、そのときに設置されたものです。
 
キノコ栽培のボイラーの画像
 
キノコの栽培ボイラーの先にある窪みが「ガンルーム」と呼ばれていた部屋です。少尉クラスの部屋だったようで、奥の四角く切った大きな窪みは御真影を安置した奉安殿で、桧の板張りだったそうです。空襲の時に航空隊から御真影えを移したということです。
 
赤山地下壕のガンルーム跡の画像
 


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