熱田神社(あつたじんじゃ)
南房総市千倉町大貫の「熱田神社」は、養老元年(717年)創建と伝わる古社です。
境内は森に囲まれていて今までまったくその存在に気が付きませんでしたが、祭礼の提灯が下げられていたので参拝してみました。
熱田神社概要
参考サイト:千葉県神社庁監修「神社検索隊!」熱田神社
【旧社格】村社
【祭神】
・日本武尊(やまとたけるのみこと)
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・大山咋尊(おおやまくいのかみ)
・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
【祭礼】スポーツの日(10月の第2月曜日)の前日
【御朱印】不明
【由緒・沿革】
創立は奈良時代の養老元年(717年)九月十五日と伝わります。
尾張国(現愛知県西部)の熱田神宮より勧請。
・永禄五年(1562年)十二月社殿修覆
明治四十一年(1908年)七月十三日、字谷田にあった熊野神社(伊弉諾尊・伊弉冉尊)を合祀。同年十一月二十八日、字岩ノ沢にあった村社日枝神社(大山咋尊)と字杉木長作にあった末社太神宮をそれぞれ本社に合祀。
神社の社格とは
参考文献:千倉町史、房総の古社、房総の伊勢信仰
参考サイト:Wikipedelia社格
「神社検索隊!」によると、熱田神社の社格は「旧村社」とあるので神社の社格について調べてみました。
古代社格以前については、はっきりしない部分もありますが、時代により以下のように分類されています。
上社格制度
古事記や日本書紀(720年)の編纂前にはあったと言われている制度で具体的な社名は記されていない。
・天津社
・国津社
古代社格制度
平安時代(794年~1185年)頃に定められた制度。この中で「延喜式神名帳」延長5年(927年)に記載されている神社を式内社(しきないしゃ)という。
・官幣大社
・国幣大社
・官幣小社
・国幣小社
中世社格制度
平安時代後期に朝廷から指定された神社二十二社を細分化したもの。
・一宮
・総社(惣社)
・国司奉幣社
・二十二社
近代社格制度
明治維新(1863年~1869年)の後、延喜式による社格を参考に作られた制度で、第二次世界大戦後、GHQによる神道指令(昭和20年)により廃止され、現在は神社の社格は存在しない。
・神宮(伊勢神宮)
・官国幣社(官社)
・諸社(府社・県社・藩社/郷社/村社)
・無格社
千倉町史に「明治二十二年(1889年)」に大貫、川戸、瀬戸、牧田、宇田の五村が合併して健田村が誕生とあります。
近代社格制度が設定されたのは合併前なので、熱田神社は大貫村の村社ということになり、健田村合併前の神社は以下の通りです。
川戸村の村社:川戸神社
瀬戸村の村社1:神明神社
瀬戸村の村社2:根之神社
瀬戸村の村社3:水神社
瀬戸村の村社4:八剱神社
牧田村の郷社:下立松原神社
宇田村の村社:熊野神社
境内案内
祭礼の日(スポーツの日の前日の日曜)の数日前から、大貫千倉線(千葉県道188号線沿い)に多くの提灯が飾られます。
県道188号の入口から神社は簡単に見つかると思っていたのですが、完全に山の中に入り込んでしまいました。
途中にノボリ?が立てられています。この形のノボリは安房神社他でも見ることができます。
以前に「タコ」と聞いたような気がしますが、何回調べても呼び名はわかりません。
参道入口
鳥居は正面に行かないと見つけられません。
参道入口は祭礼の準備をされている方々に聞いてようやく見つけることができました。
専用駐車場はありません。地域の方にお願いして30分ほど車を停めさせていただきました。
一の鳥居
参道入口に一の鳥居が建っています。建立は昭和三十七年(1962年)。形状は最上部の笠木と両脇の柱が円形、貫(笠木の下)は角型で柱から突き出ていないので「靖国鳥居」です。
参道右側の廃屋
これは民家だったのか、倉庫だったのか? 完全に崩壊しています。
常夜灯
一の鳥居と二の鳥居の中間に建つ常夜灯。かなり年代を経ているようで文字が読み取れないどころか、形状までも変わってしまっています。
二の鳥居
年代も形状も一の鳥居と同じ。
手水石
手水石は、二の鳥居の数m先の右側。大きな石をくり抜いた形状。年代等は見当たりません。
御神木
樹齢数百年の銀杏の大木。下にギンナンがたくさん落ちていて異臭を放っています。踏まないように注意してください。
拝殿では祭礼の祭典が執り行われています。
詳細情報
名称
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