青木繁記念碑

2022年08月31日

青木繁記念碑(あおきしげるきねんひ)

 
館山市布良の海を見下ろす高台に明治時代の画家「青木繁」の記念碑が建っています。近くには青木繁が画友らと滞在した、小谷家住宅(館山市指定文化財)があり、現在は青木繁「海の幸」記念館となっています。
 

青木繁

 
明治十五年(1882年)福岡県久留米市
 

旧友 辻永の誌

 
記念碑の下に、「青木繁海の幸ゆかりの地」青木繁没後五十年 昭和三十六年十二月 旧友 辻永の誌とあります。
辻永(つじひさし)は広島県生まれ(1884年~1974年)の洋画家。青木繁と東京美術学校西洋画科本科で絵画を学んだ旧友です。
青木繁海の幸ゆかりの地
 

海の幸(国指定重要文化財)

 
明治三十七年(1904年)の夏、東京美術学校を卒業した青木は、画友の森田恒友、坂本繁二郎(はんしろう)、そして恋人の福田たねと、安房郡富崎村(現館山市布良)へやってきました。布良を訪れた青木は、漁家・小谷家に8月末までの約4か月半の間滞在し、布良の海を題材に多くの絵を描きました。
 
そのなかでも、大きなフカ(鮫)を背にした裸の漁師たちが、漁から戻ってくる様子を描いた「海の幸」は、その年の秋、白馬会第9回展に出品され、一躍、青木繁の名声を高めました。
 
この時期に福田たねとの間に・子・幸彦(福田蘭童)を授かるも、その後は生活の困窮や家族との衝突などから家を飛び出し、出身地の久留米や佐賀、天草などを放浪した末、明治四十四年に28歳の若さでこの世を去りました。
 
昭和三十七年(1962年)「海の幸」の舞台となった阿由戸(あゆど)の浜を一望できるこの地に記念碑が建てられました。碑の設計は現代建築で著名な生田勉東大教授、揮毫は辻永の書で、除幕式は福田たね・幸彦母子、坂本繁二郎らの手により行われました。
海の幸の絵
 
記念碑は高台にあり太平洋が一望。エメラルドグリーンの海に伊豆大島が浮かんで見えます。
布良の海と大島

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